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紫式部や蔦屋重三郎の息吹を感じる つながる古典—「書物で見る 日本古典文学史」https://www.nijl.ac.jp/etenji/bungakushi/

寄しくも二年連続で大河ドラマに登場した製本シーンが話題となり、「書物を生み出し、残すこと」の意味が再び注目されている中、国文学研究資料館では、1月23日(木)から4月18日(金)まで「書物で見る 日本古典文学史」を開催。

古代から明治初期までの貴重な写本や版本に触れながら、教科書でおなじみの名作を通じて日本文学の歴史を体感できる、まるでタイムトラベルしたかのようにワクワクする空間が広がっていた。

2025/01/23 (木) 2025/04/18 (金)
開催場所

国文学研究資料館

2025.03.06

この展示は冊子やWebでも楽しめる展示となっており、何度でも見返すことができるのも魅力

電子展示室「書物で見る 日本古典文学史」 – 古典に親しむ | 国文学研究資料館 (国文学研究資料館HPより)

千年の歴史を45分間で味わう書物の旅

上代:~平安時代以前 中古:平安時代(初期・中期・後期・末期の院政期) 中世:鎌倉・南北朝時代~室町・安土桃山時代 近世:江戸時代 近代:明治時代

展示は文学史の区分け(上代、中古、中世、近世、近代)で5つのパートに分かれ、歴史の教科書を1ページずつめくっていくような空間が広がっている。

「今日は是非、なにかひとつでも読んでみたいと思う作品をみつけて欲しい」とギャラリートーク冒頭に語るのは、国文学研究資料館で「源氏物語」をはじめとする平安時代の物語文学を主に対象に研究している、中西智子准教授だ。

2月20日(木)「書物で見る日本古典文学史」ギャラリートークを担当する国文学研究資料館 研究部 准教授 中西智子氏

上代―文字の到来と文学の萌芽
日本史では「古代」と呼ばれる時代を文学史では「上代(じょうだい)」と呼ぶ。

まず、中西氏が触れたのは、漢字の伝来と日本における文字文化の形成だ。

それ以前は口承文芸、伝承歌謡はあったが文字がないため記録はなかった。

4~5世紀頃大和朝廷が成立し、朝鮮半島経由で漢字が日本に伝わると、奈良時代に「古事記」や「日本書紀」が成立。

この書物は日本文学史における最古の文献であり、当時、大陸との緊張関係にあった中で国のしくみをしっかり固めようとしていた時代の神話・伝承・歌謡・和歌などから、古代の日本人の感性や思想が読み解ける。

左:「古事記」展示本は江戸時代の版本。太安万侶が編集し、神代から推古天皇までの歴史を収めている。写本は少なく、あまり読まれていなかったそう

右:「日本書記」紫式部がそのエッセンスを「源氏物語」に散りばめたことで一条天皇より褒められたが、その結果「日本紀の御局」という不名誉なあだ名がついたと「紫式部日記」に記されている

「『古事記』は稗田阿礼の口承をもとに記され、読みやすく歯切れのよい文章。

例えば「許々袁々呂々邇画き鳴して」→『こをろこをろにかきなして』(ころころとかき鳴らして)など、語りのリズムも感じられる作品。

一方で、紫式部も読みこんでいた「日本書紀」は中国の歴史書の形式を取り入れた公的な文献として成立し、平安時代には貴族の男性たちが学び、重んじられていた」と中西氏は解説する。

上代~中古―仮名の発展によるひらがなの誕生 
続いて取り上げられたのは「万葉集」。

奈良時代末期に編纂されたこの和歌集は、天皇から庶民まで幅広い人々の歌を収めた日本最古の歌集として知られる。

中西氏は、「当時の日本人は中国の漢字を借用し、大和ことばを独自にカスタマイズすることで万葉仮名を生み出し、やがてひらがなへと発展させた」と説明する。

長年研究されながらも謎の多い万葉語は、平安中期にリバイバルブームを迎え、情熱の歌人・和泉式部が好んで用いたという。

また、平安前期には遣唐使の派遣によって中国の文化や漢詩文が重んじられ、学者が政治に関与することで国家の安定が図られた。

この時代には、新たな文学ジャンルとして、素朴な漢文訓読風の「竹取物語」や、因果応報を説く説話集「日本霊異記」が成立した。

左:上代「万葉集」身分問わず、約4500首を収めてあるため、約100年分の言葉の変化が詰まっている歌集。

右:中古「竹取物語」かな表現としては熟していないため、漢籍の知識がしみ込んでいた男性が書いたのではないかと言われている

中古―平安中期~後期 女性による文学の黄金期
平安中期、遣唐使の廃止により日本独自の国風文化が隆盛を迎える。

中西氏は「土佐日記」(紀貫之)、「蜻蛉日記」(藤原道綱母)、「古今和歌集」(紀友則ら)を例に挙げ、「摂関政治の全盛期、後宮の女房たちによるかな文学が開花した」と語る。

「源氏物語」(紫式部)、「枕草子」(清少納言)をはじめとする宮廷文学は、妃たちを喜ばせ、サロンを活性化させるべく執筆に励む女房たちが奮闘する背後で、出世を狙う男性官人たちの思惑が絡み合い、複雑な宮廷のコミュニケーションの中で、独自の文学が成熟していったのである。

左:随筆という文学形式を確立した「枕草子」 

右:「源氏物語」原本は残っていないが沢山の写本は現存している。嫁入り本としても利用され、豪華なつくりの書物が多く残っている

中古~中世―光の時代から、闇の時代へ
平安時代の貴族文化が終焉し、摂関政治が崩壊すると、女性の文学活動は下火に。

その後、院政期を経て武士の時代が訪れ、歴史物語「大鏡」や、1000以上の説話を収めた「今昔物語」が成立した。

「今は昔」のフレーズではじまるこの説話集は、作家・芥川龍之介に“野生美”と評され、「芋粥」「鼻」などの創作へと昇華された。

優雅な貴族社会から、荒々しく混沌とした武士の時代へ。

その移り変わりが文学に色濃く反映され、歴史とともに物語が紡がれていく様子が鮮やかに読み解ける。

左:実際の歴史書とは異なり、伝承や噂話を交えた物語性の強い記述が特徴的で、平安時代の貴族文化を知る貴重な資料「大鏡」

右:日本文学において最大の説話集「今昔物語集」

中世―平安の雅に憧れた武士たちの鎌倉時代
この時代、武士たちは平安貴族や公家の雅な世界を懐かしみ、憧れ、堪能しはじめる。

歌人 藤原定家らが後鳥羽上皇の命により勅撰和歌集「新古今和歌集」を編集したのもこの時代だ。

大河ドラマでおなじみの鎌倉幕府三代将軍 源実朝は藤原定家を慕い、若くして多くの優れた和歌を残している。

死を身近に感じていたからこそ、余情余韻を重視した優美な王朝文化に刹那な想いを馳せたのかもしれない。

中世「新古今和歌集」藤原俊成の幽玄、その子定家の有心という美的理念に裏づけられた歌風は新古今調としてそれまでのものとは一線を画した

また、鎌倉時代には軍記物語の一大巨編「平家物語」だけではなく説話文学、紀行文学も発展した。

「方丈記」(鴨長明)や「徒然草」(吉田兼好)といった隠者の随筆文学も生まれ、動乱の世の無常観が反映された作品が多くなる。

移ろいやすい世の中を見つめる世捨て人の静かな洞察は多くの人々の共感を呼び、時代を超えて普遍的な価値を持ち続けている。

上:「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」(行く川の流れは絶えることがなく、それでいて、流れる水はもとの水ではない。)で有名な「方丈記」 

左:「つれづれなるままに」ではじまる吉田兼好の随想録「徒然草」

中世―文芸が芸能と融合した南北朝・室町時代
南北朝統一後、政局が安定すると、文芸は芸能と融合して発展した。

和歌の余技として始まった連歌は庶民にも広まり、能・狂言は武士や貴族にも愛好されるようになる。

足利義満の庇護を受けた世阿弥は「風姿花伝」を著し、版本「班女」には写本に近づける特殊な工夫が施されていたことから、当時の書物の価値観もうかがえる。

また、この時代には「浦島太郎」や「鉢かづき姫」など、「めでたしめでたし」で終わる「お伽草子」と総称される短編の物語が多くまとめられた。

庶民の影響力が増し、文学がより一層広い層に向けて親しまれるようになったことが、この時代の特徴を際立たせている。

左:「班女」室町時代に能楽を大成した世阿弥作の狂女物の謡本。活字本を写本に近づけようと紙に工夫がこらしてあり美しい

右:異類による合戦物「十二類絵巻」こういった絵巻物も多数展示され、絵からも当時の様子が楽しめる。

その後、11年に及ぶ内乱「応仁の乱」により文化の中心地であった都が荒廃。

貴族や公家、文化人が地方へ疎開したことで雅な王朝文化が地方へと伝承された。

王朝指向に憧れを抱く地方大名たちからの注文に応じて書写し、利益を得る公家もいたそうだ。

不安定な政局と度重なる戦が、皮肉にも文学や文化の伝播を促進する結果となったのだ。

近世―印刷がもたらした知の大衆化
江戸時代に入り、書物は写本から印刷へと変化し、これにより文学や学問は貴族や公家だけでなく一般大衆にも広まった。

この変革は、文学や和歌、俳諧などの世界に大きな影響を与え、国学者(例えば本居宣長)などが登場し、文学研究は“中世の秘伝的思想”から“近世の実証的な思想”へと進化した。

この変化は今日の古典研究の基盤となっている。

また、木版印刷の普及により、黄表紙と呼ばれる書物が登場し、文字と絵を組み合わせた通俗小説は現代の漫画に似た独自の形式で庶民に広まり、娯楽として人気を集めた。

この流れにより、過去の文化や世界観に対する理解が深まり、日本人のリテラシーの向上にも貢献した。

「金金先生栄花夢」(恋川春町)大河ドラマでも登場した鱗形屋出版の小説(黄表紙)。立身出世を夢見た主人公が目黒不動尊にお参りに行き、粟餅が蒸し上がるまでのうたた寝で見た夢の物語は、謡曲「邯鄲」のパロディ

国文学研究資料館 国書データベースにアクセスすると、気になる出版物のキーワードを入力するだけでいつでもどこでも古典籍を見ることができる。国書データベース (国文学研究資料館HPより)

江戸前期~中期ー江戸のべらぼうな文学革命
江戸前期、文化の中心は上方(京都・大阪)だったが、中期には江戸で最盛期を迎え、自由な発想に満ちた書物が次々と生まれた。

狂歌ブームでは、五七五七七の和歌に風刺や諧謔を加え、本音を詠む文化が花開き、蔦屋重三郎も「唐丸」として狂歌を嗜み、山東京伝らと狂歌本を出版。

一方、上方では井原西鶴が「源氏物語」の光源氏をオマージュした「好色一代男」を執筆し人気を博す。

後期には、日本初の職業作家・曲亭馬琴が「南総里見八犬伝」を発表し、古典のエッセンスを近世風に再構築した。

江戸時代は、古典を骨太な魅力を保ちつつ華麗に変貌させた時代だった。

左:百人一首絵本を模して、百人の狂歌作者の狂歌と肖像を収めた「古今狂歌袋」宿屋飯盛(編)山東京伝(画) 

右:井原西鶴の処女作「好色一代男」上方版以外に、江戸版も出版されている

江戸後期~近代―明治維新による文化の交換期
江戸時代後期、十返舎一九による戯作(滑稽本)「東海道中膝栗毛」が刊行され、落語のように庶民の会話や風俗を生き生きと描写した作品として大変な人気を博す。

その後明治維新に伴い、政治・社会制度が大きく転換。

欧米諸国に追いつくため急速な近代化が図られ「漢字不要論」といった議論も提起されたが、古典文学から近代文学への移行期において文学史の観点でみると、人々の娯楽や興味の基本線は大きく変わらないことが書物を通して確認できる。

「安愚楽鍋」(仮名垣魯文)牛鍋屋に集う人々の描写から急速に変化する世相を風刺した作品。食べ物や服装は変わっても、江戸時代の戯作の様式は受け継がれている

「文学史をたどっていくと、現代・未来において日本の古典文学作品がどのように形を変え、新たなエッセンスが引き出されているか、そして新世代のひとたちが何を古典文学から引き出していくのかを見てみたいと思う」ギャラリートークの最後に、中西氏はそう締めくくった。

今も昔も、書物が持つ無限の可能性に変わりはないのだ。

柳亭種彦の代表作「偐紫田舎源氏」 歌川国貞(画) 時代を平安時代から室町時代へ移し、語り手は江戸日本橋の女性という時代を超えた設定のこの本は江戸時代のベストセラーとなる

古典は常に進化し、私たちを楽しませるのだ。
現代の若きアーティストが紡ぐ源氏物語の世界観を知る→「源氏とあそぶ。源氏をまとう。」 〜若手アーティストや漆芸家と紡ぐ現代の古典〜 | 立川ビルボード

書物がなければ、紫式部の孤独な筆の響きも、蔦屋重三郎の書物に対する情熱も、時を超えて私たちに届くことはなかった。

書物は歴史の証人であり、古典文学は読むたびに新たな光を放ち、何度探求しても尽きることのない深遠な世界を広げていく。

幾度も歴史の荒波に翻弄され、時には忘れ去られながらも、書物はしなやかに生き続けてきた。

幾度も変容を遂げながら私たちを魅了し続け、千年を超えて紡がれる日本文学の息吹を、夢幻のように体感してほしい。

特設コーナーで同時開催している「引き歌の世界―『古今和歌集』から『源氏物語』へーでは、紫式部が生きた平安中期の高度に洗練された物語のことばの世界が堪能できる。こちらも必見

引歌の世界ー『古今和歌集』から『源氏物語へ』 – 催し物 | 国文学研究資料館 (国文学研究資料館HPより)

■展示名:通常展示「書物で見る 日本古典文学史」
会 期:2025年1月23日(木)~2025年4月18日(金)
開室時間:午前10時~午後4時30分
休室日:第4水曜、土曜、日曜、祝日
場 所:国文学研究資料館1階 展示室
入場無料
主 催:国文学研究資料館

<研究者によるギャラリートーク>場所:国文学研究資料館1階 展示室 
第1回 2月20日(木)11時30分~12時15分 中西智子准教授
第2回 3月21日(金)11時30分~12時15分 河田翔子特任助教
第3回 4月17日(木)11時30分~12時15分 川上一助教
※予約不要 ※講師は変更となる場合がございます。

【問い合わせ先】
国文学研究資料館学術情報課事業係
TEL:050-5533-2984 FAX:042-526-8606
E-mail:jigyou@nijl.ac.jp

(取材ライター:西野早苗)