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ゆかりの地を歩き、平和への願いに思いをはせる。講座「砂川闘争を学ぼう」

2024年10月12日・19日の2日間、講座「砂川闘争を学ぼう」が開かれた。

第2回目となる19日の講座には14名が参加し、砂川闘争の舞台となった砂川の地を、講師で砂川中央地区まちづくり推進協議会の青木栄司さんの解説を聞きながら巡り歩いた。

青木さんは砂川闘争を率いた一人である青木市五郎さんの孫でもある。

2024/10/12 (土)
2024.10.30

決起集会が行われた阿豆佐味天神社

最初に訪れたのは、砂川町4丁目にある阿豆佐味天神社。砂川闘争の期間、町民たちがたびたび決起集会を行っていた場所だ。

この場所が集会の場に選ばれた理由は、単純に十分な広さがあるという以外にもっと歴史的な背景があるのだという。 

町民の決起集会が行われた阿豆佐味天神社

400年近くの歴史を誇る阿豆佐味天神社は、砂川が新田開発によって開墾され始めた当初から、砂川の人々とともにあった。

それ以前の砂川といえば、人里などは皆無で、江戸の貴人が鷹狩りにくるような場所だったそう。

新田開発に携わった人々は、痩せた土地を懸命に耕し村を築きあげ、のちに砂川の特産品である桑苗はその品質の高さを広く知られるようになった。

砂川闘争は、そんな先祖代々懸命に開墾してきた土地を、ある日突然国から「明け渡すように」と宣告されたところから始まる。

町民たちにとってはまさに晴天の霹靂。住民全員が一様に反対し、測量を阻止する座り込み運動が始まった。

長きにわたる砂川闘争において、開墾当初から砂川にあった阿豆佐味天神社は、住民たちの心のよりどころとなっていたのだ。

守られたライフラインと“団結爺さん”の墓

次に一同が向かったのは、基地の拡張予定地だったエリア。

まず最初に訪れたのは、砂川1丁目・五日市街道沿いにある共同井戸。 

五番組(現在の砂川町1丁目・5丁目・6丁目あたりの昔の地名)の共同井戸

一見するとただの石の箱だが、これは当時の五番組の人々が使用していた共同井戸なのだそう。

この場所は基地拡張予定地で、ジェット機の滑走路の延伸部分とされていた。

もし計画が実現していれば、住民のライフラインである井戸は奪われ、東西に長く伸びる砂川の集落も、真っ二つに分断されてしまっていたのだ。

共同井戸から200mほど南下したところには、砂川闘争をともに闘った日本山妙法寺の記念碑と“団結爺さん”の愛称で親しまれた馬場源八さんの墓がある。

最期まで基地拡張に反対し続けた馬場さんは、遺言どおり拡張予定地のど真ん中に眠っている。  

日本山妙法寺の記念碑

馬場源八さんの墓

滑走路の下にあった農地

講座の最後は、一時、基地内にあった青木さんの所有する土地を見学した。

普段は施錠されており立ち入ることのできない場所だが、今回の講座では特別に公開された。 

入り口の門を解錠する青木さん

入り口から5分ほど歩いた先に、その場所はあった。北を頂点として、南へ広がっている三角形の土地だ。

この土地は元々青木さんの祖父である青木市五郎さんの農地であったが、戦後の混乱のなかで米軍によってブルドーザーで轢きならされ、滑走路の一部となってしまったのだという。 

青木さんの所有する三角形の土地

当時、市五郎さんは米軍司令官に直接かけあい、土地の所有権を認めさせ、借用書を交わした。

さらに国を相手に土地の引き渡しを求める訴訟を起こしたが、国は市五郎さんの土地の測量を強行しようとした。

これに対し、住民を中心に反対する運動が行われ、その最中に「砂川事件」とよばれる出来事も起こった。 

伊達判決につながる砂川事件が起こったフェンスのあった場所

のちに、この土地は無事に青木家に返還され、記念にトウカエデの木が植えられた。

当時苗木だった木たちは、およそ50年の時を経て立派な大木へと成長した。

元は滑走路のコンクリートが敷かれていた場所に力強く生きる自然は、砂川の地を守り抜いた先人たちの強固な意思と重なって見えた。 

青木さんの土地の南端に植えられたトウカエデ

残る課題は「返還地の平和利用」

住民たちが測量隊と激しくぶつかり合った闘争の後、23戸をのぞく多くの土地は徐々に個別接収されていき、国のものとなっていった。

そのため拡張予定地だったエリアは、現在、民間地と国有地が点在している状態だ。

特に国有地となっている場所は、雑草の生い茂った荒地となっている場所も多い。

現在残された課題は、この土地をどう活用していくかだ。「戻ってきた砂川の土地をすべて平和利用することができて、はじめて砂川闘争は本当に終わったと言えるだろう」と青木さんは語る。

様々な波乱を乗り越え、ようやく戻ってきたこの砂川の地。平和の意思がこの先もずっと語り継がれ、大切な土地が未来に価値をもたらすよう活用され、発展していくことを願う。

(取材ライター:栗原かぼす)