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いつもの景色のあの彫刻も!「石を彫る くにたちの彫刻家 關敏の仕事」展https://kuzaidan.or.jp/province/kikaku/sekibin/

關敏(せきびん)さんは、国立ゆかりの石彫家(せきちょうか)。

その作品は、立川市や国立市内のあちこちに点在している。それ故、いつもの道で何気なく見ていたあの石の彫刻も、実は敏さんの作品だということもあるのだ。

10月4日~11月13日、くにたち郷土文化館で開催されている「石を彫る くにたちの彫刻家 關敏の仕事」展では、彼の多彩な仕事ぶりが紹介されている。
大らかさと繊細さ、両方を兼ね備えていた敏さん。その魅力を知った後は、いざ街にくりだし、作品巡りをしてみよう。

2024/10/04 (金) 2024/11/13 (水)
開催場所

くにたち郷土文化館

2024.10.23

敏さんはどうやって石彫家になったか

家族写真/中央に座っているのが父・喜太郎さん、右隣が敏さん(※1)

關敏さんの実家は、国立の商店の草分け「せきや」だ。

敏さんは、その創立者・関喜太郎の末っ子として1930年、国立市谷保に生まれた。

11歳年上の兄は、同じく芸術家の関頑亭(せきがんてい)さん。

この時代、芸術の道に進むということは簡単に許されることではなかった。

同じ家から2人も芸術家を出したということは、非常にまれだった。

左/兄・関頑亭さん、右/關敏さん(※2)

敏さんは、東京都立立川高校を卒業後、東京藝術大学彫刻科に入学。

平櫛田中らのもとで学んだ。卒業後、木彫家としてスタートしたが、石彫に転向。

なぜ、木から石に移ったのか。

敏さんは、「木に比べて石は無機質。だから、表現したいものをストレートに表すことができる」と述べている。

しかし、当時、藝大にも石彫の学科はなかったため、自ら石屋に通い、道具の作り方から教わるなど、自力で石彫家への道を開拓していった。

塑像を制作する敏さん(※3)

ムサビ出身の証?受け継がれるハンマー

敏さんの石彫家人生は、道具作りから始まった。

石を彫るための「鑿(のみ)」や鑿を叩く「ハンマー」もそうだ。

鑿は一から手作りし、過酷な作業に適したスペイン製のハンマー(ベルハンマー)も自ら探し出してきた。

時に、スペイン製ハンマーを使っている石彫家は、「ムサビ出身?」と聞かれることがあるらしい。

武蔵野美術大学で教鞭をふるっていた敏さんは、石の選び方や道具の使用法を、特に大切に教えていたようだ。

「何を作るか」を教えることは出来ないが、技術的なものさえ身に着けていれば、どんな作品を作る時にもきっと役に立つというのが、敏さんの考えだった。

そんな理由もあって、敏さんが探し出してきたスペイン製ハンマーは、今でもムサビ出身者に代々受け継がれているのだ。

敏さんが使用していたスペイン製ハンマー

繊細な感性と大らかなイメージ

今回の展覧会では、彫刻だけではなく挿絵やデザイン、硯などの文房具作品、また子ども時代の写真や絵画などの資料も展示されており、敏さんの全容に触れることが出来る。

そこで驚くのが、ふり幅の大きさだ。

パブリックアートなど大きな彫刻作品を作る一方で、挿絵に描かれる栗や蕎麦などは細かくに丁寧に描写されている。

谷保天満宮の例大祭で氏子たちが着る浴衣のデザインにおいては、柔らかで粋な柄である。

 挿絵の仕事

装丁の仕事

作品を制作する場には色んな学生がたくさん参加していたようで、中には、美術談議で議論を持ちかけてくる学生もいたらしい。

そんな時、敏さんは「でもいいじゃない」とふわりといなしたそうだ。

敏さんらしい力みの抜けた大らかさの底には、考え抜いた哲学があったのだと想像する。

敏さんの初期の彫刻作品「虚空」は、仏教的な救いを表しているという。

その後、日本人の土着的な宗教へ。

そして、より遡って中国へとテーマが移っていく。

自分自身や日本人のルーツに興味を持っていたようで、インドや中国など、世界を旅して歩き、そこから得たものを作品にしていった。

「虚空」1997年制作(くにたち市民芸術小ホール)

谷保天満宮の「座牛」と国立駅南口の「時計塔」

生まれ育った国立で最初に制作されたのが、谷保天満宮にある「座牛」。

1973年(丑年)のことだ。

この座牛、藤原道真が亡くなった際に悲しみのあまり動けなくなった牛がモチーフとのことで、「動かざること山のごとし」、座牛の背中は山の峰に見立てられて作られた。

また、牛の鼻を台座より少しだけ前に出して参拝者がなでられるようにしたのは、敏さんらしいお茶目な企み。

この仕事について、地元に貢献できることは光栄なことだと、後に敏さんは述べている。

「座牛」1973年制作(谷保天満宮)

国立市民なら必ず目にしたことがあるだろう、国立駅南口ロータリーにある時計塔。

あれも、敏さんがデザインしたものだ。1979年に設置され、今も現役で活躍している。

しかし、敏さんにはちょっとした不満があった。

この時計塔は、「双葉が開き、茎が伸びて、花が咲く」イメージでデザインされたもの。

だから、敏さんは、時計の部分は花の形の丸にしたかったのだ。

しかし予算不足で四角い形に。

息子の関堅さんは、「ずっと言っていました」と笑顔で振り返る。

予算が少ない中でも協力したのは、地元の仕事を大切にしていた敏さんだからなのかもしれない。

「時計塔」1979年設置(国立駅南口ロータリー)

学芸員・安斎さんに聞いた、關敏作品の楽しみ方

今回の展覧会を企画した、くにたち郷土文化館の学芸員・安斎順子さんに、關敏作品の楽しみ方を伺った。

「關敏さんの作品は、大きさによっては室内に展示することが難しいものもありました。

ですが、むしろ、今回の展示で敏さんの幅広い仕事や人柄を知って頂き、さらに、街にくりだして、作品に触れて頂けたら、二度、楽しめるのではないかと考えました」。

「景色の中で何気なく見ていた作品も、敏さんのことを知ってからまた見ると、見えてくるものも違ってくると思うのです。

ぜひ、この展覧会が、敏さんの作品をもう一度じっくり見る機会になればいいなと思います」。

くにたち郷土文化館 学芸員・安斎順子さん

關敏作品を巡ろう

「関敏作品くにたちMAP/(公財)くにたち文化・スポーツ振興財団/2017年発行」を片手に、街を散策してみよう。MAPは以下のアドレスで見ることが出来る。

|MAPはこちら sekibinmap.pdf (kuzaidan.or.jp)

◇立川市内で見られる作品も掲載されています。

◇情報が古いものもありますのでご注意ください。

◇境内では静かに鑑賞して下さい。

関敏作品くにたちMAP(表)

同時開催 コーナー展示「わたしたちのたからもの」

関敏展と同時開催で、国立で活躍した芸術家4人の作品が展示されている。

三浦小平二さん、関頑亭さん、中本達也さん、臼井都さんだ。

コーナー展示ではあるが、貴重な作品が揃っていて見ごたえ十分だ。

国立市になぜ芸術家が多いのか。学芸員の安斎さんと話が盛り上がった。

結論は出なかったが、色んな意味でちょうどいい場所であったこと、芸術家が芸術家を呼んできたこと、この二つに理由がありそうだ。

今回の展覧会で、自分たちの住む地域で素晴らしい芸術家たちが活躍していたことを知ることが出来た。

その芸術家が芸術家を呼び、現在もたくさんの作家や芸術家が暮らし活動している。

また、地域の文化や芸術を守り伝えていこうと日々取り組んでいる学芸員さんやスタッフの方々とも出会うことができた。

これからも、本サイトで発信し応援していきたいと思う。

母屋にあった敏さんの作業机/気配や時間を感じることが出来る

展示風景

 

◇關敏(1930‐2023)

東京都国立市(谷保)生まれ。1951年、東京藝術大学美術学部彫刻科 平櫛田中教室彫塑に入学。

1956年、東京藝術大学卒業。石彫家。

石を加工する敏さん(※4)

■「石を彫る くにたちの彫刻家 關敏の仕事」

日程/2024年10月4日(金)~11月13日(水)

会場/くにたち郷土文化館 特別展示室

詳しくはこちらのサイトで https://kuzaidan.or.jp/province/kikaku/sekibin/

■関連イベント

パネル展示 「くにたちで出会う 石彫家 關敏の手がけた作品たち」

日程/2024年10月18日(金)~24日(木)

時間/最終日16:00まで

場所/旧国立駅舎 広間および展示室

◇くにたち郷土文化館

1994年、地域の歴史博物館として設立された。歴史や民族、文化などに関する常設展示を行っている。

企画展やイベント、講座なども開催。講堂等、有料で利用することも出来る。

建築設計のコンセプトは「武蔵野の森を活かす」。施設内に持ち込み飲食できる場所あり。

■開館時間/午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)

■休館日/毎月第2・第4木曜日(祝日の場合は開館し、翌日を休館)、12月29日~1月3日、別に国立市教育委員会が定める日

■観覧料/常設展示は無料(企画展、特別展については別途設定)

■ホームページ/くにたち郷土文化館 (kuzaidan.or.jp)

■X(Twitter)/くにたち郷土文化館(@knt_kyoudobunka)さん / X

くにたち郷土文化館

取材協力:くにたち郷土文化館/学芸員・安斎順子さん

写真提供:※1 西野マサ子氏所蔵/※2,3,4 関堅氏所蔵

(取材・文/岡本ともこ)