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トークイベント「ファーレ立川アート塾 Vol.3」

昨年10月から、アートのある街「ファーレ立川」で行われている「ファーレ立川アート塾 」。
この街のロゴマークをデザインした北川一成さんが塾長を務め、ゲストとの対談を通じてファーレ立川の未来を考える学習と交流の場である。

第3回目の開催となった3月23日は、各地でアートプロジェクトを企画し、地元住民と共に運営してきたアーティスト池田修さんをゲストに迎えて行われた。

2019.05.09

北川一成さん(左)とゲストの池田修さん(右)

 

池田さんはファーレ立川アートの参加アーティスト「PHスタジオ」の代表として作品を設置し、この街がオープンする前からプロジェクトに関わっていた。同時に、横浜市の文化芸術を通したまちづくり活動を牽引してきた「BankART1929」の代表でもある。

 


ファーレ立川アートNo.26「ウォーターマーク(水標)」

「まち」は様々な状況により変化していき、そこに住む人々の生活も変化を余儀なくされる。
アートプロジェクトを通じて「まちと人々」を見てきた池田さんから、2つの事例が紹介された。

 

広島県灰塚(はいづか)地区の12年にわたるアートプロジェクト「船をつくる話」

PHスタジオは、ダム建設による周辺環境整備と人的交流プログラムとして始まった「灰塚アースワークプロジェクト」に参加し、大掛かりなプロジェクト「船をつくる話」を実施した。1994年のプランから始まり、12年後の2006年までかけて完成した壮大なプロジェクトだ。

 

広島県北西部にある灰塚という町では、ダムに水没する集落の移転が進行していた。

建物も農地も全部という大規模な引っ越しが進行するなか、大量の樹木が伐採され廃棄されるという話を聞き、池田さんは「森の移転」を考えた。

伐採された木を筏(いかだ)のような「船」に組み上げ、ダム湖から頭を出す予定の山の頂きに乗せるというプランが生まれたが、予算の確保や諸々の手続き、地元住民との折衝などにかなりの年数を要していた。

同じ頃、住民の手によるもう一つのプロジェクト、「えみきの移転」が進められていた。


「爺さん」と呼ばれ、昔から大切にされてきたえみき

集落にあったものが全て移転したあと、谷底に残された「えみき」と呼ばれる1本の巨大な木。
樹齢500年とも言われる巨木の移転には莫大な費用がかかるため放置されていたが、人々の心には「この木が水底に沈んだら、集落の歴史も思い出も全て消えて無くなってしまう」という思いが引っかかっていた。

「次の世代へ繋ぐもの」として新しい土地へ移植しようという動きが生まれ、必死で寄付金を集め、もうすぐダムに水が入るというギリギリの時期に移転を済ませることができた。

 

重機や大型車両を使った移動のあと、最後は大勢の住民たちが力を合わせて縄を引き、老木に励ましの声をかけながら「最後の引越し」を済ませた。
人々にとってはどうしても必要な「総決算」であり、このことによって気持ちに区切りを付けることができ、前に進むことができたという。

「普通はダムができるとその集落は壊れて終わってしまうが、この集落はコミュニティの力によって、新しい土地で生き残ることができた」と池田さんは語る。

谷底で船が完成してから数年の後、ようやくダムに水が入り始めた。
大きな船は、一体どうしたら山の頂上に乗せられるのだろうか。

新しくできたダムでは、一旦「最高満水位」という本当の満タンまで水を入れて、水中で周囲の斜面の強度などをチェックするそうだ。
この間を利用して、水面に浮かぶ船をボートで牽引し、水没している山頂の真上まで移動させる。
その後ダムの水位が「常時満水位」まで下げられていくと、徐々に水面から頭を出していく山頂に船が残る。

若干位置のズレは出たものの、ほぼ計画通りに作業は進行し、全長60mの船を山の頂きに乗せることに成功した。

現在も、船は同じ場所にあるそうだ。
「これは、よくやった。粘り勝ちだった」と、池田さんは当時を振り返る。

 

 横浜市の「創造都市構想」とBankART1929 
新世紀に入った横浜の旧市街地では、開港当時に生まれた西洋建築や近代建築が少しずつ姿を消し、オフィスビルの空室率が増えるなど、文化・経済の両面で斜陽化が進んでいた。

再び街を活性化するために、行政と都市デザイナーとの連携によってできたのが「創造都市構想」という街づくりのプロジェクトである。

これを起点として生まれた「NPO法人BankART1929」は半官半民の組織で、カフェ、パブ、ショップ、スクールなどのベースになる事業の傍ら、展示などの主催およびコーディネート事業を運営している。

「1929」は、最初に拠点となった2つの銀行の建物(第一銀行、富士銀行)が建てられた年であり、「BankART」はそれにちなんで生まれた造語だそうだ。
1929年はNY近代美術館(MoMA)が設立された年であり、芸術にとって記念すべき年であると同時に、世界恐慌が始まった年でもある。
「お金が無いときこそアートを」というメッセージもこめて命名されたという。

その後拠点は何度も移転し、「BankART Studio NYK」にたどり着く。
日本郵船の倉庫だったという大きな建物では、ショップやカフェで休日を過ごす人、仕事帰りに立ち寄る人、多くの人が生活の一部として時を過ごし、愛された。


人々で賑わうカフェと奥に見えるショップ

屋内外の広大な空間を活かし、大規模作品の展示や舞踏の公演なども行われていたが、周辺地域再開発のため、2017年3月に13年の幕を閉じた。


BankART NYK外壁に構築された川俣正さんの大掛かりな作品

 

2018年からは、4ヶ所に拠点を分けて運営している。
もとのNYKがかなり広い空間であっため1ヶ所に収めることはかなわず、現在もまだ全ては移転し切れていないという。

アーティスト誘致活動 
横浜市には古い空き家やビルの空き室が多く、自由に活動できる空間を安く得られる。
好意的な家主も多いことから、BankARTが今最も力を入れているのが、「アーティスト誘致」だ。
「例えば東京の青山のように、有名なアーティストが多く居住する街が、横浜にはほとんどありません。ビルの空室をアーティストに2ヶ月くらいアトリエとして使ってもらい、その間に僕たちは他の空き家を探し出して、そこを拠点に独立してもらうという活動をしています」。

市からアーティストの制作活動に対する補助金が出るようになったため、少しずつ人数が増えて、現在では1,000人ほどのアーティストが市内にアトリエを構えている。

ここから優秀なアーティストが多く輩出されて認知度が上がり、人材はさらに集まってきているそうだ。

部屋を貸す側も同様で、入居率を上げるために積極的に手伝ってくれる家主が現れてから、その情報が他の家主にも広がり、受け入れ物件は増えているという。


駅の地階にある大規模な空き倉庫を活かしたアートスペース「BankART Station」

 

みなとみらい地区の開発と、それに伴う東横線の一部廃線によって寂れてしまった街がある。
「新しい大きなことをすると、古い街との関係には難しい問題が必ず起きてくる。僕たちは、その狭間に立つことも多い」と池田さんは言う。


廃線となった線路の高架下に造られたアートスタジオ群「BankART R16」

会場から上がった「立川市はこれからどうしたらいいでしょうか」という質問に対して、池田さんはこのように答えた。

「こんなに長い間、ファーレを守ってきたことはすごいと思います。尊敬します。昔は家の前を掃除するときに、ついでに隣家の前まで掃除するのが当たり前でした。互いに面倒をみていた昔の生活のように、ファーレ立川もみんなで今の保全活動を続けていくのがいいと思います」。


 年2回、市民が参加して行うアート作品清掃


 春と秋に開催される「ファーレ立川アート・ミュージアムデー」

横浜で実際にあったことが紹介された。

「『BankART R16』」にはトイレが無いので、職員は近くの公衆トイレを利用することになりました。その時に、自分たちでペンキを塗り替えたのですが、清掃局の課長がとても喜んで自ら挨拶にきました。『公が作った道路は公が掃除すればいい』と、通行人は平気でタバコをポイ捨てするのが今の社会です。その逆に、公のものを民間人がきれいにしたことに対して、感激したのではないでしょうか」。

 

このような提案もあった。
「横浜市では市民対象の講座と同時に職員の勉強会も頻繁にやっています。市の担当部署に、講座の内容、会場や講師のブッキング、参加募集など全てを依頼することによって、彼らの理解も深まるし、積極性も出てきます。責任も負ってくれます。立川市でもこういった勉強会をしたらどうでしょうか」。

 

休憩の間に、場内では懇親会の準備が進む。
軽くつまめるオードブルとドリンクが用意され、和やかに立食パーティが始まった。


近隣で同日開催された野外劇に出演の俳優、林周一さんも駆けつけた(右)

 

大勢の前では飲み込んでしまう言葉も、少人数のグループなら口に出しやすい。
リラックスした参加者からは、いろいろな声が聞こえてきた。

「横浜市と立川市では規模の大きさがあまりにも違うので、そのまま真似するのは難しいですよね」。

「ファーレ立川のイベントには、地元商店街があまり関わっていないようだけど。商店が出店などで参加したら、アートミュージアム・デーももっと盛り上がると思う」。

「立川でもビルの空き室や空き店舗などは多いので、何らかの形でそれを活かしたら、いろいろ面白いことができるかもしれない」。

「立川駅周辺はすごく開発が進んでいますが、ひっそりとした地域もけっこうありますよね。横浜と同じように、それぞれの地域を活性化することにアートは関わって行けると思います」。

いつも地元住民の熱い思いと行動力が伴っている、池田さんたちの活動。
ゆったりと飲み物や料理を楽しみながら、今しがた聞いた話を振り返って語り合う参加者たち。
確かに、誰でも気軽に参加できる学習や交流の場が続いていくことが、住民とともに立川の未来をつくる鍵になるかもしれないと思わせる光景だった。

<資料提供・協力>
PHスタジオ https://www.phstudio.com/
BankART1929  http://www.bankart1929.com/
ファーレ立川アート http://www.tachikawa-chiikibunka.or.jp/faretart/
ファーレ倶楽部 https://www.faretclub1997.net/