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画廊から、生の芸術「Art Brut」を発信

永井画廊 立川ギャラリー

 JR青梅線「西立川駅」。国営昭和記念公園を訪れる行楽客で、休日ともなると小さな駅はいっぱいになる。

 今年も大混雑のゴールデンウィークに、この駅にほど近い画廊で昨年に続き2回目となる「Art Brut TAMA 2018 」が開催された。

 会場の「永井画廊 立川ギャラリー」は1年前にこの地にオープンし、普段は土曜日と日曜日に常設展を行い、平日は貸しギャラリーになっている。

 このギャラリーのオーナーである永井龍之介さんに話を聞いた。

2018.05.29

Art Brut(アール・ブリュット)の本当の意味を知ってほしい

 『とかく日本ではアール・ブリュットの意味が「障がいを持った方のアート」というように誤解されがちです。「個性的な創造性」と「文化的な規範からの自由」というのが「アール・ブリュット=生(き)の芸術」」の本来の意味であり、型にはまった先入観にとらわれることなく、自らの中から湧き上がる自由な発想で生み出された作品を示します。特別な教育を受けていない作家から優れた発想の作品が生まれ、そこには障がいを持った方たちが多数含まれること、さらにはそれらの作品が高く評価されることが多いことから誤解や偏見が生まれているのではないかと私は深く危惧しています。本来アートというものは、一切の区別も差別もなく同じ土俵の上で対等に評価されるべきものではないでしょうか』。

 永井さんは誤解や偏見を危惧し、Art Burtの本当の意味を強く訴える。

「 LA PAIX」は「平和」

 このギャラリーがオープンしたのは1年前。「この1年間に多くの方が訪れてくださったことで、アートの持つ力の大きさを実感しました」と話す。

 アール・ブリュットの作品が持つ、心が洗われるような、心が癒されるような力によって、多くの人々が平和的な心持ちになれるように、ひいては世界平和に繋がっていけるようなささやかな試みになるように、今年はフランス語で平和を意味する「LA PAIX」という言葉をタイトルに付けたという。

 

◇出展作家と作品
本展には、22名のアール・ブリュット作家の作品が展示された。
その中から、日替わりでパフォーマンスを披露した4名の作家と作品を紹介したい。

伊賀 敢男留(いが かおる)
1988年生まれ 東京生まれ
小学生の時から絵画、木版画、木工を始め、現在は平面、立体のオブジェ製作にも挑戦している。趣味は、音楽、スポーツ(水泳、ランニング、スキー)、陶芸。絵を描くのは週末が中心で、平日の朝にチェロの練習をするのが習慣になっている。

 

 

 今回の出展作品は全て、青を基調としたものだった。

 その中の「海の記憶」のキャプションには、「一瞬の躊躇とスリルの後に、音のない美しい世界が広がっていました」とある。初めて海に潜ったときに彼の見た世界が、ここに描かれている。

 会場に現れた彼は落ち着いた青色のシャツを着ていた。作品のテーマカラーを意識してのことだろうか。演奏をしていないときはずっと静かに鼻歌を歌っていたが、初めて演奏する曲をしっかり自身に沁み込ませているように見えた。

 彼が奏でるチェロの音色はどこまでも優しく、自らが描いた絵の色と響きあい、融合していく。その中に深く吸い込まれていくような感覚を覚え、まさに「心が洗われる時間」であった。

 少し離れて見守るお母さんのブラウスは、レモンイエロー。深い青とは、互いに引き立て合う補色だったのが印象に残った。

 

 

阿山 隆之(あやま たかゆき)
1972年 東京生まれ
黒1色の鉛筆画から始まり、やがて色を付けることを知ってカラフルな作品を生み出すようになった。筆圧が強く紙が破けてしまうため、近所の材木店から廃材を提供されたのがきっかけで木材に描くようになったという。絵の他にトンボ玉の製作も行っている。

 

 自ら撮影したフクロウの写真を見ながら鉛筆で下絵を描いた木材に、焼きゴテで丁寧に輪郭を彫りつけていく。周りの人とおしゃべりをしながら楽しげな様子ではあるが、木の表面は硬いところも軟らかいところもあり、実はけっこう骨の折れる作業だそうだ。

次に色鉛筆でひとつひとつの形を塗りつぶしていく。1色ではなく、何色か重ね塗りをして独自の色を出す。輪郭を作るのとは違って、彩色はスピーディ。まるで頭の中に設計図ができているかのように、迷うことなくスッと手を伸ばし、必要な1本を選び取っては塗っていく。自身の確認なのか、観客への説明なのか「セピアとインディゴとレザン」、使う色の名前を言いながら彩色は進む。

 こうして、使われることのなかった木材が彼の手によって命を吹き込まれ、色鮮やかな作品に生まれ変わる。

 

玉川 宗則(たまがわ むねのり)
2002年ころから絵を描き始め、やがて吉祥寺の井の頭公園で初めてポストカードを売り始めた。その後、様々なイベントに参加するようになり、2008年からは個展も開催。中学生のときに見たキース・ヘリングや、絵を描き始めてから見たバスキアに影響を受けているという。

 

 キャンバスに向かうと、一心不乱に描いていく。彼の内側に湧き上がるものが、鮮やかな色や様々な形になって次々に現れているようだ。ウサギやネコなどの動物や、数字、文字、図形など多彩なモチーフが配置され、動き、踊る。彼はさらに、キャンバスの側面にまで描き込む。

 画材は様々なものを持ち替えて使っていく。アクリル絵の具で描いた大きなモチーフの上に、油性マジックや色鉛筆で描き足したり、時にはアルミホイルや切り抜いた写真をコラージュすることもある。最初に描いたものと大きく違ったものに変身することもよくあるそうだ。

 どこまで描いたら完成なのか、よく聞かれるそうだが、「なんとなく、そのときの感じで決める」と答える。

 

林 航平(はやし こうへい)
1997年 東京生まれ
保育園で油粘土に出会い、恐竜や動物を次々に作って周囲の人を驚かせた。材料は紙粘土を経て、現在はソフト粘土にアクリル絵の具を混ぜ込んで製作。素材と着色方法が変わるにつれて、作品はどんどん細かくなっていった。

 

 必要なだけの粘土を手に取り、必要な分量のアクリル絵の具を乗せて練り込む。ほしい色の粘土を作るための分量の割合は、全て頭に入っているのだろう。毎回1回で決まるのは職人技である。

 彩色された粘土をつまんだ両手の指先が細かく動くこと数分、あっという間に体長2cmくらいの熱帯魚が生まれ出た。それはまるで手品のようで、手のひらに乗せて観客に披露すると歓声があがる。

 彼の携帯電話にはたくさんの画像が入っていて、それをモデルに作ることもあるが、リクエストを受けて何も見ずに作ることもしている。頭の中にもたくさんの引き出しがあるようだ。

 複数色の本体は「部品」ごとに各々の色粘土で作って、それらを組み合わせ、細かい模様を描くときは爪楊枝を使う。今回展示された作品のペンギンたちは、それぞれに水玉模様のビキニを着ていたり、五月人形の姿をしていたり、現実の世界を生きているかのように見えて、とても楽しい。

 

西立川という街とアートの関係
 ここから立川の市街地まで徒歩でも20〜30分、自転車なら15分もあれば行ける。その立地条件のもと、地元商店街は地域の活性化に努力を重ねてきた。

 同時に、町内には「石田倉庫アトリエ」という複数アーティストの製作の拠点があり、ここで毎年アート・イベントが開催されているという街でもある。

 1年前にオープンした画廊に街の外から訪れる人が増えてきたことから、アートの力によって街を活性化しようという動きに拍車がかかり、今年11月には初めてのアートフェス開催が予定されている。

 「西立川=アートの街」と言われる日のために、新たな流れができてきた。

◆永井画廊 

http://www.nagai-garou.com/
・西立商店街振興組合 http://www.annex-tachikawa.com/nishitachi/
・石田倉庫アトリエ http://www.ishida-soko.com/