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ようこそ 豊かな和書の世界へ   国文学研究資料館 「和書のさまざま」

本を読むという行為は1000年以上前からたしなまれてきた。
長い歴史の中で本がどのような変化を遂げ、今の形態となったのかご存じだろうか?
現代では時代劇などの小道具としてしか見かけることのない和書。
いきなり「和書を見よう!」と言われても、「本は中身が重要だから現代語訳の本を読めばいいのでは」、または「昔の文字は読めないから・・・」と、特段興味を持つことはないかもしれない。

しかし今、わたしたちの周りに当たり前のように存在している本を「物」として見てみると、驚くような発見があった。
国文学研究資料館 入口敦志副館長の案内により、本好きにはたまらない45分間の不思議なギャラリートークを紹介する。

2024.07.09

静寂の空間に整然とたくさんの和書が並ぶ

本にも身分が存在する!~身分を見極める3つのポイント~

ギャラリートークのはじめに、国文学研究資料館 入口副館長がこの展示の肝となる3つの鑑賞ポイントを教えてくれた。

本の形態にも身分があり、まずはそれを知ることで本に書かれていない情報をくみとることができるそうだ。

「和書のギャラリートークをする際、まず私が話すのは、和書を楽しんで見るために必要な知識を身に着けていただきたいということ。和書を見る際の簡単な3点のポイントをお伝えしたい」。

6/20(木)「和書のさまざま」ギャラリートーク担当は国文学研究資料館 入口副館長。和書の知識がなくとも理解できるようわかりやすく解説してくれた

ポイント①:本の“大きさ”を見る
「・大きい→大事なことを記している
・小さい→メモ程度
要するに、紙を贅沢に使うか使わないか。貴重な紙をふんだんに使用するかどうか。
前近代は身分制社会。全てのものに身分があり、当然、本にも身分があった」。

ポイント②:本の表記方法を見る
「実は文字にも身分差がある。簡単に言うと、漢字が一番上で、カタカナは漢字の付属物的なものであり、ひらがなが一番下。

例えば皆さんが履歴書を書く際、全部ひらがなで書くことはないはず。

日本語として読む分には一緒だが、漢字で書くという感覚は現代では通常のこと。前近代はその区別が非常に激しかったのだ。
2つのポイントを踏まえると、
・“大きな本に漢字だけ記した本“→その時代の一番スペシャルな本
・”小さな本にひらがなだけで書かれている本“→その時代の最下層
このように推測できる」。

本の内容ではなく、見た目から様々な情報を得られると、古典籍がとても身近に感じられる

ポイント③:本の装訂を見る
「まず装訂の歴史をお話したい。日本の装訂技術は、全て中国から渡ってきている。

最初の紙の本の装訂は紙を糊で長く繋げていく、いわゆる「巻物(巻子本)」。

これは長いものだと10数メートルにもなる。

想像すればすぐにわかると思うが、この形態は読み進めるのは大変不便。

最初の部分を少しだけ開いて見ている分にはよいが、最後まで開いて読み終えたら全て巻き戻さねばならない。

我々が調査する際この作業はとても慎重に行うため緊張すると同時に手間もかかる。

しかし、実はこの不便な「巻子本」は延々と使い続けられることになる。

日本で言うと平安時代ぐらいまで、なんと1000年近くこの不便な形式が主流だったのだ。

それはなぜか?現代とは異なり、1冊を本当に丁寧に読み進めるため、不便さを感じなかったのかもしれない。

ようやく読みやすい「折本」が登場したのは平安時代後期あたり。

紙を蛇腹に折ればどのページもすぐ簡単に開けるので大変便利なもの。

便利な本の形態を知る我々からすると疑問ではあるが、その当時の人は全くそんなことを考える必要などなかったであろう」。

巻子本(かんすぼん)
紙を横に貼り継ぎ、左端に付けた軸を中心に丸く巻いたもの。右端に表紙を付けて全体をくるむ

折本(おりほん)
紙を横に貼り継ぎ、等間隔で山折りと谷折りを交互に作って折り込んだもの

粘葉装(でっちょうそう)
紙を二つに折り、外側の折り目の脇を糊代として貼り重ねたもの。パっと見ただけでは作り方は理解できない

どのようにつくられたか?一見わからない本もある
「いわゆる「冊子本」が出現したのが、8世紀から9世紀ぐらい。

最初の冊子版の形態は、糸を使用せず、糊で貼り合わせる「粘葉装(でっちょうそう)」という装訂。

紙を二つ折し、外側の折り目の脇を糊代として貼り付けたつくりなので「巻子本」より手軽に読める形態。

この形で残っている世界で一番古いものが実は、空海が唐の留学先から持って帰ってきた有名な『三十帖冊子』。

空海の自筆も入っているいわば空海の勉強ノートで、現在は仁和寺に保管されている。

空海が遣唐使から帰ってきた800年代中頃に初めて出現したほぼ四角で桝形本の形態「列帖装(れっちょうそう)」は、外から見ても糸がほんのわずかに見えるだけで一見しただけではどのようなつくりかわからない。

言葉で説明するのもとても難しい。

和書をつくるワークショップで、実際に作ってみると理解できるというような糸を使用する装訂だ。

本日は『源氏物語』のレプリカを手に取って見てほしい。鎌倉時代ぐらいには流通していて、恐らく、平安時代にもこの形態はあったであろうと推測できる」。

左:冊子本 糸などで綴じる ※いくつも糸の通し方がある
右:列帖装(れっちょうそう) 紙を複数重ねて二つ折りしたものを二つ以上並べ、糸などで綴じたもの。一目見ただけではどうやって綴じているのかがわからない

小さな本に、当時の歴史が沢山つまっている
「さて、手に取ったところで先ほどの原則を当てはめてほしい。

この本は小さく、ひらがなだけで書かれている、ということは平安時代の中で位置づけた場合、こういったかな文字で書かれた物語や日記というものは本としては一番下の身分となる。

加えて『源氏物語』には、主人公である源氏の君が義理の母と不義密通してしまうというような現実ではありえないようなことがたくさん書かれているが、当時の人たちはそういうものとして楽しんでいたと考えられる。

小さな本の形態に当時の様々な歴史や情報が詰まっている、ということを覚えておいていただきたい」。

本の身分制度では古いものが上
「また、これは日本の文化を知る上で大事なことなのだが、時間がたつにつれだんだん地位が上がってくるという原則があるのだ。

例えば“装訂の歴史を覚えてほしい”というのは実は装訂の出現順に地位が決まるからだ。

新しく出現したものは自動的に下の地位となる。

①巻子本→②折本→③粘葉装→④列帖装→⑤冊子本、この順番を覚えれば、ほぼ本を読まずとも、本のつくりを見ただけで当時の本の地位がわかる。

内容はわからないが、その本がその時代にどう位置づけられたものか?

これだけでも本そのものを楽しめるため、今日はこの3つのポイントをまずは頭の中に入れてほしい」。

本を形だけで見る体験は新鮮。現代で例えるとCDをジャケ買いするような感覚に似ている

芭蕉の目指す世界を本のカタチで感じる
「ではなぜ、こんなにも国文研(国文学研究資料館の通称)は本のカタチに大きい意味を持つと考えているのか?

我々は研究者なので、内容だけを知りたければ岩波文庫などの本を読めばすむことだ。

その点についてこの『おくのほそ道』のレプリカでお話をしてきたい。

これは芭蕉が死ぬまで自分で持っていた本で、形態は「桝形本」だ。実は江戸時代に入ると、もう普段我々が見ている長方形、縦長の形態になっていくのが普通。

芭蕉は、当時の一般的な普通の長方形の形にせず、なぜわざわざこの形にしたのか?

芭蕉が亡くなってから木版として『おくのほそ道』を印刷しており、誰かが芭蕉が所持していた本の筆跡をそっくりに写し、彫っている。

よく見てもらえると原本とそっくりなことに驚嘆するはず」。

解説だけではなく、レプリカを実際に手に取る体験ができることも嬉しい。見て触って感覚的にも理解が深まる

「これは当時の感覚としての本物そっくりのレプリカを印刷して作るということは、それほどまでして、当時の人たちは芭蕉が死ぬまで持っていた『おくのほそ道』のカタチが欲しい、と思ったからだ。

何かを読むだけであれば真似するにしても大きな本で印刷するのが一般的。

当時みかけない桝形本で印刷することはとても珍しいことなのだが、わざわざこの形にした。

芭蕉が弟子に同じ形態で書かせたということ自体に芭蕉の目指す意識をリアルに感じとれると考えていたのだ。

これは非常に重要なことだと考える。

中身は仮名だけでほぼ書かれていて、書き方が平安朝の物語とそっくり。

つまり、芭蕉の目指して行ったところは、平安朝のひらがな文化。

俳句を和歌の地位まで押し上げたかったのではないかと考えられる。

だから形もその書きぶりもそう見せている。

それを知って『おくのほそ道』を読むか?知らずに内容だけ読むか、では全く意味合いが違うと考えている」。

文学に対するこだわり=本の形
「つまり、作者の文学に対するこだわりが本の形にはこめられている。

とすると、やはり形を見るということは、研究にとっても一般の方にとっても非常に重要なことで、最初の3つの原則を当てはめれば出会った本が①どのような文字で書いてあり、②どのくらいの大きさで、③どういう装訂か?を当てはめてご覧になればある程度のことはわかる。

その上で本の中身を知ることがとても重要。

もう、その最初の3原則だけ頭に入れていただければ、私は思い残すことはありません(笑)皆さまの中にそれがしっかりと記憶されればどの展覧会に行っても楽しめることだろう」。

和歌の形態、素材、各部位の説明など、セクションごとにあらゆる角度から本そのものを堪能できる展示

日本の不思議な印刷の歴史
「最後に、和書の展示を更に楽しむために、書き方にも身分があることを話したい。

手書きの方が上になるのだ。

例えば年賀状や手紙を考えるとわかると思う。

印刷されたものより手書きの方が丁寧で、きちんしたものである、と思う感覚は時代を問わず全く一緒。

やはり印刷されたものは少し格が下がってしまうのは新しい技術だからだ。

当然最初から印刷術があったわけではなく、古くはずっと写本だった。

印刷物ができたのは7世紀の終わりぐらいから8世紀。

印刷術によって大量の情報を共有できることが可能になり、マスメディアが登場したと言われ、これはある意味当たってはいるが、実はそんな単純なことではない。

世界最古の印刷物である百万塔陀羅尼(770年)を皆様ご存知かと思う。

印刷が中国で始まったのが7世紀の終わり位。

中国で起こった新しい技術はすぐ日本に入り、印刷を日本人も始めるが、なんと、100万枚刷ったのだ。

展示はしていないが経を記した小さな紙をくるくると丸めて木製三重小塔に収め、それを100万基作る。

奈良の10か所のお寺に10万基ずつ(法隆寺、薬師寺など)納めることは、印刷術あってこそ可能な、とてつもない大事業だ」。

和書を保護するための袋や秩(ちつ)、箱などの展示。形へのこだわりがここでも伺える

印刷できるのに印刷しない?!日本の不思議
「実は、我々日本人の著述が始まったのも同じ時代だった。

『古事記』が710年。

これが日本人の著作としては初発だった。

それから『日本書紀』が720年、『万葉集』が757年以降。我々の著述は印刷術と同じ時代にあった。

実は著述を始める際に我々の祖先の隣にはもう印刷術があり、大量印刷をやっている。

ところが、『古事記』『日本書紀』、それから『源氏物語』『伊勢物語』『方丈記』『徒然草』など、印刷術があったにも関わらずなぜか印刷しない。

実は17世紀の江戸時代から日本の古典が急に印刷されはじめた。

そこまで一切、面白いぐらい印刷しない。

その原因は日本の伝授文化にあるかと。

伝授とは先生から一対一で教わることを非常に大事にしており、普通“知”は広めてこそ役立つものだが、そういう”知“のあり方が実は日本の貴族社会にはなかった。

むしろ”知“は独占し、それを切り売りすることで彼らがマネタイズする、という”伝授“という名の秘密を握っていたため、印刷術が側にあるにも関わらずあえてしなかったのではないだろうか」。

後陽成天皇の命により印刷した『皇朝類苑』はかなり大判

天皇と江戸幕府が出版を後押し
「16世紀の終わり頃、キリスト教の宣教師たちが天草に印刷機を持ち込み、活版印刷が始まった。

また、豊臣秀吉が文禄の役で朝鮮半島を攻めた際略奪し、後陽成天皇に献上した銅活字セットを使い、天皇は貴族たちに印刷するよう命じ、『古文孝経』を印刷した。

展示品に『皇朝類苑』という勅版がある。

天皇の命なのでやはり同じ本でも大きい。

このように、天皇がはじめると、今まで一切してこなかったことを一気にやり始め、一斉に動き出す。

この影響が本当に大きく、それが活字による印刷隆盛の一つの大きな要因だと思う」。

『盛久』 小さな連続活字の精巧さに思わず見入ってしまう

マスメディアにはのらない日本文化
「活字を使った印刷によって究極的には光悦謡本『盛久』のような本も出現した。

右に音律を示すための小さなゴマ符の活字やひらがなの連続活字を使っている。

こんな不便なことを生み出してしまうのは、日本人の特徴をよく表していると思う。

ひらがなの作品の印刷が始まるのは17世紀頭。

ところがこの活字印刷は17世紀の中頃には衰えてしまった。

日本は便利な活字技術を捨て、元の技術の木版に戻してしまう。

西洋社会がグーテンベルクの出版に始まり、どんどん活版印刷を発展させていき、マスメディアにしていくという流れとは全く異なり、日本はもう1回過去の技術に戻してしまうという不思議なことをする。

これにもいくつかの原因があるというふうに考えられているが、そこは皆さまご自身で考えてみてほしい」。

「日本で出版に関して一番不思議なのは、日本人が著述を始めた際に印刷術があったならばマスメディア的にはそちらを使えばいいはずなのに、なぜかマスメディアには乗らない、ということが日本の文化であるということ。

その風潮が大きく変わるのが江戸時代。

徳川幕府により出版業界は画期的に変わっていく。

数学(和算)の本、料理本や花の本、だれが読むのか?と思うような駄洒落の本までもが次々出版され、出版文化が花開いたのだ」。

江戸時代に花開いた出版業界では、様々な本が生み出された

日本の出版業界の歴史はドラマティック
「来年の大河ドラマの主人公が蔦屋重三郎になると聞き、我々はワクワクしている。

出版事業を起こし、罰せられたりもするが、先見の明のあるプロデューサーである蔦重が写楽や歌麿を見いだし彼らを世に送り出すという、出版というものに勢いと力があった時代の物語だ。

今日は日本の本や出版に関する不思議な部分を解説したので、今後、先ほどの原則を念頭に置いて様々な和書を見て欲しい」。

「次月もギャラリートークを予定している。今度は“*人文知コミュニケーター”が案内する予定。

専門分野が皆違うため、案内人が変わると説明のポイントも変わり、お楽しみいただけることでしょう。次回7月18日(木)ぜひお越しください」。

*人文知コミュニケーターとは?→ 対談 人文知コミュニケーター×古典インタプリタ 古典との出合いを提供するために (nijl.ac.jp)

ギャラリートーク後、入口副館長にお話をお伺いした

大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館 副館長(企画調整担当)
研究部 入口敦志教授

-ギャラリートークはどの位のスパンで開催しているのか?また、いつ頃からはじめたのか?

「二つの常設展を交互にやるようにして、その合間に特別展示や大きな展示を短い期間に入れるシステムとして出来上がったのは10年ぐらい前。

ギャラリートークは月1回。

異なる専門分野の研究者が話すため、毎回来ていただいても楽しめる内容。7/18(木)のギャラリートークは今年の6月、人文知コミュニケーターに着任したばかりの方」。

-今日は参加者が19名とお伺いしました。皆様大変熱心に聴講されていましたね。

「沢山の方々にお越しいただき非常に嬉しい。

今日は特別多かったと思う。次の常設展(書物で見る日本古典文学史)も別の角度から本の歴史を全て辿っていけるので、合わせて楽しんでいただきたい」。

-来年1月~たましん美術館で開催される『源氏物語』の展示(国文研の所蔵品を外部に貸し出して展示する初の企画)でもギャラリートークは予定しているのか?

また、他の企画はあったら教えていただきたい。

「源氏物語展ではふたつのギャラリートークを予定している。

また、今年度は常設展の他に特別展示を二つ予定している。

以前館長を務めた松野陽一先生の松野文庫展(9月5日(木)から)。

もう一つは『枕草子』を中心とした資料を相愛大学の春曙文庫からお借りして展示する予定(10月28日(月)から)。

こちらも同じくギャラリートークも予定している」。

ーここにいると、なぜか読めないのに本自体に愛着がわいてくるのが不思議です。ここにある本たちは長く様々な人々に大切にされてきたのでしょうね。

「少なくともここにあるのは数百年以上残ってきた本たち。

当時の人も、その後の時代の人たちも大事だと思って伝えてきたもの。

そういう意味では非常に貴重。

残っていること自体がすごい。長い歴史の中でずっと大切にされてきた本たちだと思う」。

「手ずれ」に焦点をあて鑑賞するのも面白い。どんな人たちに読まれてどのように読まれてきたのか?妄想が膨らむ

「ちゃんと勉強した方の本にはちゃんとした手ずれがある。

本を読む際には作法があり、基本的には本を机の上に置き、一番角の部分だけを持ってページをめくることが推奨されていた。

そういう目線で本を見ると、丁寧に扱ってきたのだな、ということがよくわかる。

研究には全く役に立たないが、本そのものにはそういった情報も入っており、それをキャッチしていく作業はとても重要なこと。

本の存在自体が文化。ただ単に物があるわけではなく、そのもののあり方に文化的な背景があると知った上で触れると見方が変わってとても面白い。

本はただのメディアに過ぎないし、ただの活字をどの形で読んでも内容が一緒ならそれでもよい、ということではなく、同じ内容でも形が変わることによって受け取り方が異なると考えている。

そういう古典と自分たちの今取り組んでいる新しい文学は拮抗していくのだろう、という意識が重要だと思う」。

-芭蕉があえてあの形態で本を出し、内容だけではなく、皆が芭蕉と同じ形の本を欲しがったというお話はとても響いた。

俳句を和歌と同じ地位に押し上げようとした意識を形から感じました。

「中身だけではなく、まず形から本の情報を受け取り、芭蕉の目指す世界を感じ取ること。

その重要性に気が付いていただけたら嬉しい。

我々研究者は、今後もギャラリートークやワークショップなどで皆様に様々なアプローチによる和書を楽しむ方法を伝えていきたい。」

展示内容の概要を収録した手引書となる冊子もいただけるため、復習もできる

和書は1200年以上に及ぶ長い歴史を持ち、その種類の多様さと現存する点数の多さは世界的にも稀だという。

普通“文学”というと本の中身を知ることが重要と思われがちだが、なぜあえて和書のカタチを見る展示を開催するのか?

ここには書ききれない発見があるため、実際に目で見て、触って体感してほしい。

堅苦しい雰囲気は全くなく、研究者に気軽に質問できるため、ギャラリートークに参加すれば、今後、博物館や美術館へ足を運ぶ際、いつもの何倍も楽しむことができるようになるだろう。

古文書が解読できなくても、かな文字が書けなくても大丈夫。

この夏、本や出版の不思議な世界を学んでみてはいかがだろうか。

「和書のさまざま」
■会期:令和6年4月18日から8月9日 

■休館日:土曜・日曜・祝日・第4木曜日

■開室時間:午前10時~午後4時30分

■会場:大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館1階展示

■主催:国文学研究資料館

■入室料:無料

■インターネットでも展示を鑑賞→電子展示室:和書のさまざま (nijl.ac.jp)

■所在地:〒190-0014 東京都立川市緑町 10-3

■電話番号:050-5533-2900(IP電話代表)

■HP:国文学研究資料館 (nijl.ac.jp)

◆次回ギャラリートーク開催日:7月18日(木)11時30分~12時15分
・国文学研究資料館の研究者による展示解説・事前予約不要・興味のある方は直接展示室までお越しください

(取材ライター:西野早苗)