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国文学研究資料館

1階展示室入口でリーフレットを入手し、展示を堪能
国文研設立にも尽力した臼田博士が生涯をかけて集めた蔵書から、約90点を精選して公開。博士の研究テーマに沿う4部構成で、その“まなざし”を辿る。
11月7日のギャラリートークでは、教え子の飯島一彦名誉教授(獨協大学)、岡﨑真紀子教授、河田翔子特任助教(ともに国文研)が博士の軌跡と文庫の魅力を語った。

第一部 碧洋臼田甚五郎 人と学問 “研究と教育のまなざし”
飯島氏は「臼田博士の学問人生は驚くほど早熟だった」と語る。
旧制中学校時代(今の中学1年~高校2年生)から専門書を読み込み、和歌や物語だけでなく、当時はまだ研究が進んでいなかった民謡や歌謡にも関心を寄せた。
21歳で学術誌「民謡研究」を創刊し、國學院大學に提出した卒業論文は、現在の基準でも高水準と評される。

掛軸は臼田博士が実作した歌を自筆した書。実感と実証をポリシーとした研究者としての信念を感じる資料が並ぶ
「博士の研究は、ひとつの専門にとどまらない広がりがあった」と飯島氏。
文学と音楽、文献と民俗、書と声、といった多角的な視点で世界を見つめた。
また、多くの研究者を育てた。その“開かれた学問”の姿勢はいまも受け継がれている。
第二部 うたの諸相 声をもつ書物たち “和歌へのまなざし”
次に、岡﨑氏が“和歌へのまなざし”を紹介。
博士は平安期の女流歌人に注目し、「後拾遺和歌集」などを通じてその表現を歴史に位置づけ直した先駆者だった。

「後拾遺和歌抄」(巻子装)冊子本を巻物に仕立て直した鎌倉初期の古写本

「玉葉和歌集」14番目の勅撰和歌集で、古い奥書を持つ完本
続く「玉葉和歌集」は、正中2年(1325)の奥書をもつ貴重な資料である。
「博士は単なる蒐集家ではなく、影印版を刊行し公開。
自らの蔵書を後進の研究者に開いた」と岡﨑氏はこの歌集入手にまつわるエピソードと共に博士の研究者としての信条を語った。

「四条中納言集」藤原定家筆本の転写本
「私歌集」のコーナーには「四条中納言集」「散木奇歌集」など貴重書が並ぶ。
筆跡のリズムや文字のかたちに宿る感情、博士の蔵書は、書物が“いにしえの人の心を今に伝える文化財”であることを教えてくれる。
「臼田博士の“まなざし”とは、見立ての眼、広い視野、そして人を育てる力を指す」と岡﨑氏。
善本・稀本の豊かさに圧倒される臼田文庫は、まさに“知の蔵”である。
第三部 ものがたりの歩み 人のこころをうつす “物語へのまなざし”
『竹取物語』をはじめとする王朝文学や説話集に対する博士の鋭い分析眼が、「第三部 ものがたりの歩み」に展示された資料を通して伝わってくる。
物語が単なるフィクションではなく、人々の心情やそれぞれの時代の倫理観を映す“語りの形式”として発展してきた過程が、文献資料から浮かび上がってくる。

日本最古の物語文学だが古い写本が少ない「竹取物語」 意匠を凝らした豪華本だ

上:「子易の本地」絵巻。異形の男女児の苦悩と転生を描いたお伽草子
下:「子易の本地」の詞書。筆耕 朝倉重賢の筆が絵巻と同様に美しい

江戸前期の写本「子易の本地(こやすのほんじ)」は、詞書(ことばがき)まで美しいと評されるお伽草子絵巻の傑作だ。
さらに、嫁入り道具として誂えられた「松たけものかたり」3帖が華やかな彩りを添える。
写本のバリエーションを存分に楽しめる展示だ。

めでた尽くしの嫁入り本「松たけものかたり」。上冊「相生の松」中冊「鶴亀物語」下冊「松竹物語」を収めた祝言物のお伽草子
「蛤の草子」は本展のメインビジュアルにも選ばれた作品で、蛤の精が登場する幻想的な物語世界に、来場者は足を止めた。
物語を“読む”だけでなく、“語る・手に取る・愛でる”という文化のあり方を、河田氏の柔らかな語りが導いてくれた。

「蛤の草子」天竺の孝行息子が蛤の化身により富み栄え、長寿を得たとするお伽草子
第四部 歌謡の豊かさ 声の記憶をたどって “うたへのまなざし”
「歌謡」の部では、飯島氏が臼田博士の“うたへのまなざし”を紹介した。
博士は、和歌や物語の根底にある「語り」「うたう」という身体的表現に注目し、歌謡を“ことばの原点”と捉えていた。
展示では中世歌謡から江戸の俗曲、民謡の記録まで、生涯追い続けた“うたの文化”が並ぶ。

「撰要両局巻」(せんようりょうきょくのまき)鎌倉武士の教養としても機能した宴曲の集大成
歌謡とは「声に出して歌ううた」。臼田博士は、その“声の記憶”を追い求めた。
平安時代に盛行した歌謡は、武家の時代以降も受け継がれたが、応仁の乱により、京都の宮中や貴族の間で行われていた管弦や歌謡は一旦衰える。
しかし、乱後に後奈良天皇は自ら神楽歌を筆録し、伝承をつなごうとした。
また、伝承者たちは地方に散り、歌謡は民俗芸能として息をついだ。
戦乱という文化の危機が、逆説的に歌の命を広げたのである。

「庄内鶴岡御町々盆踊り文句」庄内藩では藩主家と領民が一体となり、毎年新作の歌を歌って踊ったそうだ
江戸中期以降、流行唄や芝居の歌謡、盆踊り歌などが庶民の間で広まり、博士はその変遷を残すため、あらゆる歌謡書を蒐集した。
色刷り本が人気を博し、出版を通じて民衆が自分たちの言葉を記録する。
文化文政期は、民衆の声が歴史を紡ぎ始めた時代であった。

「歌曲時習考」(かきょくさらゑこう)戦国時代以降、日本に三味線が伝わり地唄・筝曲の歌謡が発展。盲目音楽家も誕生した

「吉原はやり小哥そうまくり」ちぎれた部分をそのまま印刷し、実在しない初版本にみせかけた文政版
飯島氏は「“歌の土産は重荷にならぬ”と言われた時代。
人々は旅先で流行歌を覚えて帰り、やがて全国へ広まった」と語ると、会場は頷きに包まれた。
「歌には上下がなく、扱い方次第で輝く」。まさにこれは文化の縮図といえる。

画像下「伊勢音頭二見真砂」伊勢参詣の土産として持ち帰られ、やがて伊勢音頭として全国に知られるようになった
これらに映し出されるのは、貴族から庶民まで、身分をこえて人々が日々の思いを声に託した姿である。
臼田博士は歌謡を「文字に残らない文学」、すなわち人々の「暮らしの中で息づく言葉の芸術」として捉えていたと感じた。
声に出してうたうことで、人々の記憶は共有され、生き続ける。
博士は、その“声の記憶”を丁寧に掘り起こし、学問として光を当てたのである。

「越風石臼歌」(えっぷういしうすうた)越後の臼引き歌を漢文で注釈をほどこした稀覯本
学問の開かれた地平
展示を通して浮かび上がるのは、臼田博士の“広く、深く、ひらかれたまなざし”である。
和歌、物語、歌謡、ことばの響きを見つめ続けたその眼差しは、雅号「碧洋」の名のとおり、静かに深く展示空間を満たしている。
博士は資料を秘蔵せず、未来の研究者に開いた。
学問とは、時を越えて共有される海のようなもの。
並ぶ書物の一つひとつが、その信念を今に語りかけてくる。

もうひとつの見どころ ― 「蔦重、圧巻。」も同時開催
さらに現在、館内では特設コーナー「蔦重、圧巻。大・中・小 ~書型に見る蔦重版(五館連携展示「蔦重手引草」)」も開催中である。
江戸の出版文化を代表する蔦屋重三郎(通称・蔦重)をテーマに、書物のサイズ・造本・意匠を通して浮世絵出版の世界を体感できる内容となっている。

展示本を手に取るようなイメージで、中央の3Dビューアーで回して観ることができるのも楽しい
臼田文庫の展示で“ことばの深み”に触れ、蔦重版の展示で“かたちの美”を味わう。
書物という文化遺産を通じ、日本文化の魅力を再発見する贅沢な時間をこの秋、堪能してほしい。
■碧洋臼田甚五郎のまなざしー和歌・物語・歌謡―
会場:国文学研究資料館 1階展示室(立川市緑町10-3)
会期:2025年10月1日(水)~11月28日(金)
時間:10:00~16:30(休館日:土曜・日曜・祝日・第4水曜日)
入場料:無料
主催:国文学研究資料館/後援:立川市、立川商工会議所、多摩信用金庫、立飛ホールディングス
(取材ライター:西野早苗)