「枕草子と春曙文庫」展で生きた古典にであうhttps://www.nijl.ac.jp/event/exhibition/2024/10/post-86.html
11月1日は「古典の日」であったことをご存じだろうか。
国民に広く古典についての関心と理解を深めることを目的とした記念日がある秋、日本文学の研究者たちが注目する貴重な名品たちが、百人一首で「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」(蝉丸)と歌われた京都と近江との境である逢坂の関を越え、国文学研究資料館にやってきた。
今回は1階展示室で開催されている「枕草子と春曙文庫-田中重太郎旧蔵書資料を中心に」展ギャラリートークのレポートを中心に、書物と研究者たちの想いをたどっていく。
国文学研究資料館
「春曙文庫」とは?
「春はあけぼの」 で知られる清少納言の著した中古文学の傑作『枕草子』。
この冒頭句にちなんで命名された相愛大学に所蔵される「春曙(しゅんしょ)文庫」は、『枕草子』研究の第一人者として知られた田中重太郎氏が心血を注いで蒐集した貴重図書だ。
特に清少納言・枕草子関係の諸文献のコレクションでは全国屈指。
古典籍のみならず、絵画から近代資料まで幅広い知見を得ることができる。
『枕草子』を生涯愛した田中重太郎とはどのような人物だったのか。
『枕草子』研究をライフワークとした田中重太郎
京都市出身の国文学者 田中 重太郎(たなか じゅうたろう、1917年~1987年)は、商業高校在学中に『枕草子』に出会い、他に類をみない並外れた作品である、と心を奪われた。
その後、家業を継がず新聞社に勤務しながら難関である旧制の文部省教員検定試験に合格。
25歳で立命館大学予科教授に就任。本格的に『枕草子』の研究を始めた。
田中重太郎氏自筆の色紙「春は曙」。田中氏はこの言葉を生涯愛したという
その後、相愛大学人文学部教授となり、71歳で逝去するまで機械のごとく速筆だった田中氏は「出版したがる癖と向う見ずに本を買う癖」の意で「書痴」を自認し、蔵書の蒐集のみならず、生涯で100冊以上出版している。
『枕草子』研究の集大成ともいえる『枕草子全注釈』自筆原稿。京都から大阪へ移動する電車内でもペンを走らせていたそう
この版画は、病弱だった田中氏が療養中に入手し、弟子が表装。退院後は自宅の応接室にかけ、毎朝、清少納言への文運を祈る対象としていたもの。
『枕草子』研究に心血を注いだことが実感できるエピソードだ。
田中家に飾られ、毎日拝んでいたという明治錦絵 小林清親筆「清少納言旅姿錦絵」
重太郎の研究と交流、そして夢の継承
11月1日古典の日に国文学研究資料館で「国文学研究資料館特定研究 《相愛大学「春曙文庫」に関する研究-書物と人―》春曙文庫セミナー」が開催された。
相愛大学名誉教授・鈴木徳男氏、相愛大学副学長・千葉真也氏、国文学研究資料館教授・山本和明氏が、田中重太郎氏や門弟の柿谷雄三氏など、研究者の人的なつながりや様々なエピソードも交え、春曙文庫の貴重書を紹介。
『枕草子』をこよなく愛した田中氏の夢の実現、文庫創設にあたり尽力した学者たちの人柄と想いにあふれていた。
筆まめな田中氏の人柄と人脈がよく分かる書簡の展示もあり、多くの研究者が協力していたことが分かる
「春曙文庫セミナー」のチラシ(国文学研究資料館HPより)
企画展示「枕草子と春曙文庫ー田中重太郎旧蔵書資料を中心に」 – 催し物 | 国文学研究資料館
展示だけではなく、研究者たちの素顔とその軌跡を知る貴重な講話により、鑑賞はより奥深いものとなった
『枕草子』繚乱
ギャラリーは古典籍類のさまざまな表情を楽しめるよう、5つのセクションに分れており、人との交流で完成した『校本枕冊子』が完成するまでをじっくり検証できる。
『枕草子』の諸本系統で現存しているのは①「伝能因所持本系統」②「三巻本系統」③「前田家本」④「堺本系統」と大きく分けられ、それらが一挙に観賞可能なコーナーがある。
各々が写本のため、焼損、抜け落ちた段などがある、表現が異なるなど、原書が存在しないものたちをまとめ上げ、校本を作り上げていく軌跡と困難さが伺える展示だ。
国語教科書に掲載されている『枕草子』初段の本文は、この三巻本系統の弥冨本を底本としている
江戸時代までは能因本系統が主流であったそう
コピー機もパソコンもない当時、校本をつくる作業は非常に手間がかかった。
研究に必要な本を所持している人を訪ね、古写本を見せてもらい、地道に影写するのだ。
作業場の火災で、借りていた本を焼損するアクシデントに見舞われることもあったが、田中氏は門下生との地道な共同作業で、枕草子研究の基盤『校本枕冊子』を完成させた。
デジタル全盛の現代では考えられない貴重な研究遺産から、研究者たちの情熱が伝わる。
『清少納言枕詞』(三巻本系統)通称「伊達家本」校本作業中に焼損したものを補修した
多くの人々の支援で20年の歳月をかけ誕生した『枕草子』研究の基盤となる『校本枕冊子』
『枕草子』のパロディ“ものは尽くし”
『枕草子』は読むだけではなく、和歌や俳諧などの活動にも影響を与えた。
江戸時代以降「~もの」と語りだし、そこから連想されるものを列挙する「物は尽くし」(類聚章段)の形式と発想を真似た作品が数多く残されている。
現代でいう二次創作や、インターネットで画像、動画、文章が拡散される「ネットミーム」のようなものだろうか。
「春はあけぼの」という発想のインパクトから、清少納言は“智慧の人”の象徴であったようだ。
『枕草子』の内容とはかけ離れているが、田中氏はそういった作品も蒐集した。
それだけこの形式が『枕草子』の重要な特徴であると考えていたのだろう。
『枕草子』を真似た色道を説く随筆や模した絵本、吉原から子どもの玩具まで、多彩な影響作品が連なる展示
香炉峰の雪と絵画~清少納言の雪好み~
「少納言よ。香炉峰の雪いかならむ」。大河ドラマでも再現された有名なシーン。
清少納言が仕えた中宮定子が、外の様子を見たいという気持ちを雪の名所の詩句「白氏文集」を踏まえて伝え、清少納言が素早く応じ、賞賛された名場面だ。
幕末~明治時代にかけ、沢山の絵師たちによって御簾を掲げる清少納言が描かれた。
これ以外にも『枕草子』の中では雪の場面が多く書かれており、田中氏は「清少納言は雪に生きた」と述べている。
『枕草子』を読んでいなくとも、様々な表情の清少納言に出会えて楽しめる
清少納言伝説
清少納言の晩年には、いくつもの逸話が多く残っている。
あばら家に住む、ぼろ布を纏いながら過去の宮廷生活を懐かしむ、など、いずれもかつての栄華とはほど遠い落差を感じるものばかりだ。
能因本系統の奥書には落ちぶれた清少納言は甥の住む四国に渡ったと残されている。
田中氏は研究会メンバーと共に四国の清少納言遺跡をめぐり、『枕草子と風土』にまとめているそうだ。
才媛のミステリアスな晩年には、いつの時代も探求心をくすぐられる。
これも『枕草子』の魅力のひとつといえるだろう。
『金毘羅参詣名所図会』徳島には清少納言尼塚、讃岐の金毘羅宮には清塚があるが晩年は謎に包まれている
「古典の日」講演で『枕草子』に温度を感じる
11月2日(土)「第十七回日本古典文学学術賞」授賞式と「古典の日」講演会が開催された。
国文学研究資料館 中西智子准教授による「『枕草子』と『源氏物語』-かな散文のポエジー-」では、古典籍のみならず、歌詞や漫画、小説などを挙げながらジャンルを超えて偏在する目に見えない詩的情景に焦点をあてた内容がとても新鮮で、古典に対する心理的な距離感を一気に縮めてくれた。
「古典の日」講演会のチラシ。(国文学研究資料館HPより)
また、アニメーション映画監督の片渕須直氏による新作『つるばみ色のなぎ子たち』制作における中宮定子の女房たちの動向を徹底的に解明していく過程を披露した「女房・清少納言の同僚たち」の講演は、平安時代中期の文献を元に謎解きも楽しめ、「古典は過去の別物」というような認識がくつがえされた。
「枕草子と春曙文庫」展チラシ(国文学研究資料館HPより)
古典というと過去の学問の記録と捉えられがちだが、それはお墓のように過去に閉じられたものではない。
いつの時代も私たちに新しい発見を与えてくれる、過去から今につながる生きた文化だ。
今回、ギャラリートークやセミナーに参加した方々とお話した際、「学生の時に学んだことを、もう一度純粋に学びなおす時間が楽しくてたまらない」と笑顔で語っていたことが印象深かった。
古典は研究者だけの特別なものではない。
今回の展示に触れ、研究者たちがつないできた今も生きる古典に温度を感じてほしい。
■枕草子と春曙文庫―田中重太郎旧蔵資料を中心に
■会期:令和6年10月28日~12月16日
■休館日:土曜・日曜・祝日・第4木曜日
■開室時間:午前10時~午後4時30分
■会場:大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館1階展示室
■主催:国文学研究資料館
■入室料:無料
■インターネットで日本文学を閲覧可能→書物で見る日本古典文学史 | 国文学研究資料館
■所在地:〒190-0014 東京都立川市緑町 10-3
■電話番号:050-5533-2984
■HP:国文学研究資料館 (nijl.ac.jp)
◆次回ギャラリートーク開催日:12月13日(金)14時00分~15時00分
・国文学研究資料館の研究者による展示解説・事前予約不要・興味のある方は直接展示室までお越しください
(取材ライター:西野早苗)