影山さんといえば、いまや国分寺のキーパーソン的存在ですが、地元に愛着があるのは国分寺生まれだからですか。
たしかにぼくは国分寺生まれで、店主をしているカフェ「クルミドコーヒー(写真上)」や「胡桃堂喫茶店(写真下)」は国分寺にありますが、国分寺に愛着があったかというとそういう訳でもなかったんです。たまたま実家の建て替えで国分寺に拠点ができた、というか。建て替えの際、1階にカフェがあるシェアハウスにしたら、住む人にも街の人にも「街の縁側」のような場所になるのではないかと思い「クルミドコーヒー」をつくりました。住んでいるのと、お店をやるのとでは、まちとの関わり方も変わりますね。今では、お店を通じて出会った人々やまちの仲間との縁を通じて、このまちが自分にとって特別なまちになりました。
当初、ぼくは大家で、どこかテナントが入ってくれたらと考えていたのですが、相談した「カフエ マメヒコ」の井川啓央さんに「自分でやってみたら」と勧められて。やってみたら面白くて、15年経った今では、カフェの店主がぼくの天職だと思っています(笑)。
カフェの店主が天職とおっしゃいますが、もともと影山さんは、外資系コンサルティングやベンチャー企業への投資事業に携わるなど、どちらかと言うと、カフェとはかけ離れた「ビジネス」の世界にいらっしゃったんですよね。
はい。ぼくは以前、さまざまな業種の会社約40社に投資をして、経営者のサポートをするベンチャーキャピタリストという仕事をしていました。うまくいく会社ばかりではなく厳しい状況にも立ち会う中で、ぼくはあくまでも支援する立場なので、どこか無責任さのようなものを感じていました。また、成長が何よりも重視され、売上や効率が優先される資本主義のメカニズムの中で、人が手段化されていく様子にも、違和感を覚えることがありました。
いつか自分が当事者となって、自分の信じる事業・経営のやり方を追求してみたい。そういう気持ちがあったので、カフェをやるという契機はちょうどよかったんです。カフェをやることは楽しいし、その意義を感じてはいますが、この15年間、辛いこともたくさんありました。結果が出なかったり、チームのみんなに大変な思いをさせてしまったり、資金繰りに汲々としたり。自分のやっていることは誰にも求められてないんじゃないか、誰も幸せにしていないのではないか、むしろやらないほうがいいのではないかと考えたりして…。でも、最後は「フェスティナレンテ(ゆっくり、いそげ)」に帰ってきます。一つ一つの仕事を丁寧に、自分たちにできることを尽していけば、それはきっとお客さんにも届く。ぼくらにはそういうやり方しかできないから、というところもありますが。
だからぼくは、ずっと2つのお店のシフトにも入り続けていますし、お店でも「立ち止まって考えること」を大事にしています。社員全員で毎週木曜日に行う「定例会」では、みんなでお店の状況に向き合う時間を作っています。月に1回は、アルバイトのみんなにも参加してもらいます。こうした時間を通じて、みんなでこれからどうするか、どうしてカフェをやっているのかというところまで立ち返り、問い直すことができるのです。
数字もすべてオープンにしています。日々の売上などの数値から、会社の決算書まで。数字は体温計のようなもので、それがすべてではないにしても、お店の調子を見ることができます。売上が立っていることはもちろんうれしいことですが、その分、チームに負荷がかかり過ぎていないかなど、そうした計数にも着目します。
まちの寮「ぶんじ寮(写真左上)」はどういう経緯で始められたのですか?
「ぶんじ寮」は、ぼく個人の想いだけで始まったものではありません。経営チームは10人くらいからなっていて、「ぶんじ食堂(地元有志が地元食材を使って食事をつくりみんなに開く食堂)」や「冒険遊び場(大人の見守りの中で子どもたちのあらゆる冒険を受け止める自由な遊び場)」、「地域通貨ぶんじ(お金でありメッセージカードでもある地域通貨/写真右上)」といった、まちの活動を担っているメンバーが参加してくれています。中には、市議会議員になった仲間もいます。
この地は国分寺に本社がある会社の元社員寮で、メンバーの一人が見つけて「ここをつかっておもしろいことをやれないか」とFacebookに投稿したことがきっかけで仲間が動き始めました。そして、妄想会議や内見を経て、2ヶ月後には契約、引き渡しというスピードで企画が進み、クラウドファンディングで建物改修にかかる費用の協力も得て、“まちの寮”としてオープンしました。
この「寮」で目指すのは、まちに開きながら、みなで“持ち寄ってつくる”暮らしです。家賃は31,000円+共益費(水道光熱費)。現在、20名くらいが暮らしています。ここでも定例の住民ミーティングが月に2回あって、特段のルールはないのが特徴です。一人一人が自由にのびのびと暮らし、互いに気になることがあれば声をかけ合って話し合う。そんな、やり取りを積み重ねて3年になりました。多様性に開かれた場にしたいので、募集部屋数を上回る入居希望があったときには抽選で決めますし、世のシェアする暮らしの中でも、独特の存在になりつつあるんじゃないかと思っています。
そんな影山さんが人生で影響を受けた【私の三冊】を教えてください。
尊敬する人は?という質問を受けると、ぼくはこの物語の主人公のモモをよく挙げます。一人一人の存在を受けとめるモモと「聴く力」の偉大さ。モモがいるだけでまわりが元気になる、集まる人それぞれが持っている力が花開く、そんな存在に自分もなりたいと思っています。特に第3章の「暴風雨ごっこと、ほんものの夕立」は、大好きなエピソードです。同じくエンデの『はてしない物語』にも「ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな、きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ」というセリフがあります。想像力や創造力があればどこにでも行ける、大切なのは現実とファンタジーを行き来すること。それは自分のモットーにもなっています。
これは、ぼくがカフェを始めて1年くらい経った時に人から勧められて読んだ本です。この本を読んで「カフェってすごい!」 と思いました。本の舞台になっているのは100年前、20世紀初頭のパリのカフェですが、そこにカフェがあったことで、そこに力を持つ場があったことで、ピカソやヘミングウェイ、サルトルなど、後世に名を残すような偉大な人物が育っていく様子が描かれます。とてもよい本なのに絶版と聞き、著者の飯田さんや出版社の方と相談し、クルミド出版で改訂・復刊しました。判型は、フランスのガリマール社の本にならい、紙もあえて日焼けしやすいものを選んで、「100年前のパリのカフェ」へと導く助けにするなど、ブックデザインにもこだわりました。
今から15年くらい前に出版された本ですが、“これからの時代は、結果を重視する「リザルトパラダイム」から、過程を共有しながらイノベーションが起こるプロセスを重視する「プロセスパラダイム」に移行する”ということがわかりやすく書かれてあります。当時、某自動車メーカーをV字回復させた経営改革の実体験が、この本の下地になっています。 何か問題があったとき、その問題を解く鍵を、別の他者が持っているということはよくあることです。だからこそ、自分とか自部署という範囲だけをもの考えるのではなく、まわりを支援すること、さらには支援してもらうこと。その相互性が大事なのだと。つまり、「情けは人のためならず」を経営の観点から実証的に語ってくれる本で、自分のお店のつくり方もそうですし、「ゆっくり、いそげ」という自分なりの経営哲学にも大きな影響を受けた本です。
最後に、影山さんのこれからの夢はなんですか?
自分は万事、なるようになると思っているので、あまり夢を考えることはないのですけど、次にチャレンジをしてみたいことがあるとすれば、それは「新しい資本市場」をつくることです。
以前、2つ目のお店「胡桃堂喫茶店」を開業する時に、1口3万円の出資で支援をしてもらう「クルミドコーヒーファンド」というのを募ったことがありました。この時、①出資金は事業計画の進捗に応じて返ってくる、②出資金の3割は寄付する、③出資金の満額を寄付する、という3つのファンドを募ったのですけど、出資者の3割の約100人の方が②と③を選んでくれました。集まった出資金1,650万円のうち、返さないでいい資本を持てたことは、大きく経営の自由度を与えてくれました。こうした、応援の気持ちを重ねたお金のやり取りができる「まちの金融システム」を通じて、まちに魅力的な事業が増えていくといいなと思っています。
二宮尊徳に由来する言葉に、『道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である』というものがあります。お金のことばかりを考えることは、自分もまわりも必ずしも幸せにはしないと思いますが、お金のことをまったく考えないアイデアも、実効的な力にはなり得ません。ここまで続けてきたカフェや、まちの寮を基点にして、他の地域で例を見ないような、「まちの経済」を実現していけたらいいなと思っています。
●クルミドコーヒー http://kurumed.jp/
●胡桃堂喫茶店 https://kurumido2017.jp/
(取材ライター:小林未央)