久田祐三:Yuzo Hisada民族打楽器奏者/フレームドラム作家https://www.facebook.com/yuzo.hisada.3
出身:立川市
中近東や中央アジアの繊細で豊かな音色の民族打楽器を駆使し、リズムの根源を探求すべく音楽ジャンルの枠にとらわれず活動中。Sag Chanaやサンピンなどのユニット、サポート演奏や個人での演奏も精力的に行っている。フレームドラム工房「音鼓知振」としてもフレームドラムの制作&販売や、レッスン、ワークショップ、鹿皮の有効活用、アーティストとのコラボレーション等を展開。
突き動かされるような情熱を探す旅と出会い
梅雨まっただ中の6月、この日も小雨が降る中訪れたのは「カフェ&ギャラリーガレリアサローネ」。昨年1月立川市栄町にオープンして以来、数々の奇跡の出会いを生むお店だ。今回お話を聞く久田祐三さんもここで人生を変える1つの“きっかけ”と出会っている。
久田さんは立川で生まれ育ち、現在はフレームドラム/ダラブッカ/口琴奏者として活躍しながら、フレームドラム工房「音鼓知振」の代表として活動を行っている。一般的には耳馴染みのない楽器たちは、中近東や中央アジアの民族楽器。初めて聴いてもどこか懐かしく、本能に語りかけるような音色だ。なぜ久田さんがこの民族楽器を演奏し、制作するまでに至ったのか、そのルーツを聞いた。
小学生から中学生の時期にお兄さんがバンドをやっていたこともあり、ハードロックやメタルを聴きはじめる。「最初は訳も分からず聴いていました。洗脳のようにイヤでも耳に入ってきてましたね」
お兄さんの影響で聴き始めた音楽に久田さん自身も熱中していった。ここまではまだ「聴く」方に徹していた久田さんが、どのように楽器と出会い演奏するようになったのだろうか。
周りにすすめられるがままタイへ
勤めていた会社を辞め、何をしようか悩んでいる時友人の強いすすめで1ヵ月間のタイ旅行を決意する。「最初はまったく興味なかったんですけど、会う度にすすめられて。今タイに行かないと人生がダメになってしまう様な気持ちになっていました」
タイ旅行初日に「インターナショナルドラムフェスティバル」という世界の民族打楽器と踊りのイベントを見かけた。「今思うととても珍しいイベントだったと思います。すごく面白くて、印象に残っています」と語る。その後もタイ滞在中にたくさんの音楽を聴き、興奮冷めやらぬ帰国初日に中学の同級生との集まりに参加した。その時に違和感を感じたという。
「歓迎されていない感じがしました。みんな“普通”なんですよ、男女でワイワイ出来ればいいというか」
タイでの経験を共有したいと思っていた久田さんにとっては強い疎外感を感じた。学生時代や会社時代に悶々と感じていたものが、ここで決定的に。「そこで、『もういいや!』と思って、今度は国内旅行をはじめたんです」
「今思えば太鼓に呼ばれていたのかな」
沖縄で出会った友人に「竹富島の夕陽がきれいだから観に行こうよ」と誘われ、海岸に向かって歩いていると太鼓の音が聞こえてきたという。そこには夕陽に向かってジャンベ(アフリカの太鼓)を延々と叩いている人の姿があった。「誰に聴かせるでもなく、瞑想をしているかのごとく演奏している姿があまりにも気持ち良さそうに見えました」
ジャンベを貸してもらい、最初に叩いた一発が久田さんと打楽器の出会いだった。
「これに会いたかったんだ、と思いましたね」
自分にとって、人生をかけ情熱を持って打ち込めるなにかをずっと探してきてやっと出会えた瞬間を、竹富島のゆっくりと沈む夕陽を眺めながら迎えたのだという。
本格的な演奏活動とフレームドラム制作の開始
運命的な出会いを果たし、演奏活動をはじめた久田さん。セッションなどで経験を積み、現在も活動中の「sagchana」に参加する。音楽活動が順調になる一方で、掛け持ちしていた仕事の重圧も増していった。音楽をやめることだけは考えなかったという久田さんは、サラリーマンと音楽活動の二足のわらじに限界を感じ、会社に辞表を出す。そこから今まで音楽を通じ出会った人々との縁が繋がり、太鼓に導かれるように本格的な制作活動が始まったという。
フレームドラムは、当時日本では本格的な物は少なく、手に入ったとしても思い描いていた音とは違った。そこで、既製品に改良を加えて自分が求める音に近づけることにしたのだ。
「改良を加えたフレームドラムを都内の楽器店に置いてもらったんです。割とすぐに売れてしまって。それで、これはもしかしたらと」
既製品に手を加えることは行っていたが、ゼロから作り上げることはしていなかった久田さんがフレームドラム工房を立ち上げるきっかけの一つとなったのが、今回場所をお借りした「ガレリアサローネ」だ。
オーナーがクリエイターズウィークの出店者を募集していた時にたまたま声をかけてもらった。参加することにしたが、この時はまだ一度もフレームドラムの制作に手を付けていない、白紙の状態。
「開催まで1ヵ月半しかなかったんですが、今さらサラリーマンには戻れないし、音楽だけでの生活は厳しい。ならば制作もやるしかないと思って自分を追い込んで。木枠を曲げられるようになるところからはじめようと思い、方法をネットで調べたり、地方へ見学にも行きました。なんとか完成させないとって死にものぐるいで試行錯誤してましたね」
昨年5月のクリエイターズウイークでの作家デビュー以降、自作楽器デュオ「サンピン」の結成、さまざまなアーティストとのコラボレーション作品の制作、日本で有害駆除された鹿の皮の有効活用等、演奏者&制作者としての活動領域も大きく広がった。
リミットを決めることで、自分自身を追い込み制作するという姿勢。ついつい自分に甘えてしまい、ダラダラと日々を過ごしてしまっている人が多い中、久田さんは生き方が潔く格好良い。波に漂うような優しい人柄だが、日々もがき続けて今の久田さんが存在している。