松山脩:Shu MatsuyamaTINY VISION / ギター&ボーカル
1990年、バブルの崩壊と共に生まれる。東京生まれ東京育ち。世田谷在住。4人組バンド「TINY VISION」のギター&ボーカル。バンドとは別にソロで弾き語りライブを行う。活動場所は新宿、小岩、立川、公園、河原と神出鬼没かつ多岐に渡る。バンドとしてのファーストアルバム『TINY VISION』が9月6日にリリースされる。
Twitter @shumatsuyama
mail tanthemild@gmail.com
取材日はソロ曲のミュージックビデオの撮影が立川市内の多摩川沿いにて行われた。スタジオでの録音ではなくその場の環境音もあえて収録した一発撮り。8月の終わりの河原に響く声は朴訥としていて親しみやすいような、それでいてどこか諦観や孤独感をまとった不思議な響きだ。人見知りながらも独特な空気感を持つシンガーソングライター松山脩さんに、その楽曲と活動のルーツについて話を聞いた。
「音楽は気分や私感、思い入れで聞こえ方が変わる」
——出身も在住も世田谷とのことですが、立川にはよく来るんですか?
松山:バンドの練習は毎週立川のスタジオで入ってるので。もう何年も南武線で通ってますね。なので、まぁ、良いことも悪いこともあるというか、思い入れはあります。
——歌詞の中にも南武線は登場しますね。立川でよく行く場所などありますか?
松山:僕らはオニ公と呼んでいる、鬼のいる公園ですかね。立川に詳しい人ならすぐわかる。学生時代、喫茶店入るようなお金もなかったのでバンドの話し合いはよくここでしてました。
——錦第二公園(通称:オニ公園)ですね。公園で打ち合わせという所に青春を感じます。音楽のルーツについてもお伺いしていきたいですが、ギターやバンドに興味を持つようになったのは何かきっかけがあったのでしょうか?
松山:兄が先に音楽を始めていて。中学の頃、その兄のアコースティックギターがあったので、ゆずをひたすらコピーしていました。それまでぼんやりと聞いていた音楽が、ギターのコードと歌のメロディーで出来ていく感覚が面白かった。それからバンドというものを初めて意識したのは銀杏BOYZ。パンクロックやハードコアも大きな出会いでしたけどね。でも僕はメロディーの気持ちいい音楽がやっぱり好きなので、歌謡曲やJ-POPの影響も大きいと思います。現在の音楽性は、WEARE!、bloodthirsty butchers、曽我部恵一(サニーデイ・サービス)やスパルタローカルズなどに、詩の世界や佇まいも影響を受けてるかなと思います。
——どのアーティストも独特の詩世界がある日本語バンドですね。今のバンドを結成されたのは学生時代ですか?
松山:前身のバンドは、あまり何も考えず大学時代に軽音サークルにいたメンバーで組みました。2009年ごろ。ベースの奴はそのときから今もいっしょ。そのバンドは大学で浮いていたし、コピーバンドが主流なサークルの空気感にもそのバンドは馴染めなくて…外のライブハウスで定期的にライブし始めました。それから2011年ごろですかね、今のバンドの形になったのは。
——そう考えるとかなりバンド歴は長いですね。バンドとソロでは、音楽性やアウトプットの仕方はやはり変わってくるものですか?
松山:バンドに関しては、メンバーそれぞれの遍歴があり、それが全部混ざり合ったような音楽なので簡単にカテゴライズはできないですけど。逆にソロに関しては、好きな音楽の影響が強く出てる感じがします。原点に立ち返るというイメージでソロはやっているので、自分のルーツを探るような感覚。音楽は気分や私感、思い入れで、聞こえ方が全然変わるので、その時その時のグッとくるものを辿ってきてる、そんな感じです。
——確かに松山さんの歌詞は脚色のない等身大の現在を歌っているような印象です。生活感が滲み出ているというか。学生時代はどういった少年だったんですか?
松山:都心育ちだったので、恥ずかしい話いわゆる温床育ちというか…いじめもないヤンキーもいない普通の生活でした。毎日そこそこ楽しいし、刺激が欲しいとかもないし、まぁ、ぬるま湯野郎でしたね。今思えば。高校時代パンクロックを聴いていたのも、反体制とかに憧れたわけではなく、純粋にめちゃくちゃやってる音楽が楽しくて好きなだけだったような。
バンドマンやミュージシャンといえば、不遇な環境だったり特異な過去があったり、周りから突出していると思われがちだ。だが、彼は特に偏りがある思想を持っているわけでも人より変わった生活をしているわけでもない。ごくごく普通の、東京の街で暮らす20代の青年である。なら、そんな彼が歌うのは、未体験の非日常への憧れや、まだ見ぬ未来への展望を歌っているのか? 実際聴くと分かる通り、その歌詞は手で触れられるくらいの距離にある日常、時にはみっともなくうなだれながら、足元を見て呟いているような日常だ。
「リアリティが無いことは歌えない」
——作曲はどういった形で進める場合が多いですか?
松山:家でギターを弾きながら、が大部分ですけど、バンドでもソロでも完成させる作業はスタジオでやります。普通に生活してて街中で良いメロディーが浮かんだら、その場で携帯に鼻歌を録音するのですが、後で聞いても、まぁ、大概しょうもない曲だったりしますよね。
——それでも作曲することがすでに生活の延長というか、一部になっているということですね。松山さんの書く歌詩の世界観は、現代の東京で生活する20代にとっては感覚的な共感があると思います。周りを見ると何でもあるけど、何となく満たされない、どこにも属せない感じというか。作詞のテーマで意識してることなどありますか?
松山:テーマは様々ですが、自分の中でリアリティが無いことは歌えないと思ってます。歌詞はとにかく自由なので、表現としての格好良さと、なんというか、自分で歌っていて自分の中の感情に迫ってくるかどうかのバランスですね。そうじゃないと自分の中での感動はないですし、やる意味もない。詩を思いつくことが多いのは移動中、特に電車の中。いきなり思いつくことが多いので、その場で携帯にメモしておきます。そこに常日頃考えていることや、感情がプラスされていくと曲としての完成に向かうし、そうなることで初めて歌うことができる。
——大学時代に始めたバンドが、編成を変えながらも現在まで続いていますが、学生のサークルでやるのと、メンバー皆が社会人になりそれでもバンドを続けるというのは全く違った意味があると思います。そのあたりはどうでしょうか?
松山:それは本当に…すごく難しいことですね。バーッと駆け抜けてスパッと解散してしまう美学やかっこよさもあるけど、ジリジリと長く続けていく美しさもある。僕の周りでも大好きなバンドが様々な理由で活動を止めたり、解散したりしてます。寂しいですけどね、各々の理由と各々の生活がありますから。自分たちが納得出来るかどうかです。
——曲を作って、練習して、ライブハウスと予定を合わせて、集客して、ライブをする、というその一連の活動が、仕事や生活と両立できずに活動を断念する人もたくさんいると思います。松山さんは最近、無料公園ライブも行っていますが、作った曲を発表する場所やタイミングに思うことなどはありますか?
松山:僕は今でもライブハウスというものに全く馴染めないんですよ。好きなライブハウスも、正直無い。あくまで場所だという意識です。シーンとか、界隈とか、あまり興味がない。もちろん良い人はいますけどね。新しい曲を新鮮なうちにやりたい時は公園で歌います。外で歌うのもライブハウスで歌うのも、あまり気分は変わりませんから。今ある感情で作曲して歌詩を書いて、けどライブをするのは数ヶ月後、みたいなサイクルに若干の違和感があるというか。集客より会場より、歌を作ってそれを発露するという行為に重きを置きたいですね。まぁ、公園で歌って知名度や集客が上がるわけもないので、周りに迷惑かけず、自分に酔いすぎず、それでも発表はするといった感じですかね。
——ソロでやる場合は特にそういった場所やタイミングに関する自由度の高さがあると思います。自分の感情からライブまでのアウトプットを考えると、やはりソロはやり易いですか?
松山:楽ですね。何より。ルールが無いので。ただ、1人でライブやるのって本当にその辺の誰でも出来ることだとも思っていて。だからこそ意味のあることをやらなきゃいけないと思っています。さっき話した公園でのライブみたいな、無意味なこと無価値なことでも世に出すことでそれは必ず表現になると思っているけど、自分のやっていることが唯一無二なものであるという自負だけは持っていなければならないと思ってます。
——最後に、今後松山さんが音楽をやる上での目標や理想の形とはなんですか?
松山:まず生活ありき。それから制作活動。それがバランスよく保たれることで曲を作る原動力になります。生活に寄り添いながら曲を作り続けていれば、きっとそれが聴く方々の生活に寄り添うようなものになると思っています。
テレビに出たいわけでもアリーナを満員にしたいわけでもない。普通に自分の生活を過ごし、その中から生まれた感情をできるだけそのまま曲にする。そしてそれをできるだけ自分に近い場所で歌う。日常と並行して続ける。何人の人が耳を傾けたかはわからないが、この日多摩川沿いに響いていた彼の歌声は風景によく馴染んでいるような気がした。
ファーストアルバム『TINY VISION』9/6(火)リリース
1.dump
2.きっかけ
3.日記
4.冒険
5.Whimsical View
6.坂道
松山脩
文・写真 / 松岡真吾(けやき出版)