熊田真弓:Mayumi Kumadaアーティストhttps://www.instagram.com/mayumi_abe_sanctuary?igsh=MTY1ZG1sMm82bGFweQ%3D%3D&utm_source=qr
小平市在住。武蔵野美術大学油絵学科出身。卒業後は、都内のギャラリーにて展示会などを開き活動。
東京ディスニーリゾートの壁画やライブステージのペインターなどの仕事もする。
出産を機にアートとの関わり方に変化が起こる。
根源を辿る
福島県郡山市出身。幼稚園から中学校までキリスト教を信仰する私立の学校に通う。
色々な厳しさへの抵抗感から、チベット仏教にも興味を持ち始めるが、賛美歌を聞けば歌い、お祈りを聞けば手を合わせるなど、根底にはキリスト教の教えを持ち続けた。
小学生に上がる年、当時はまだ病名もはっきりしてなかった川崎病を患ってしまう。
苦しい入院生活を送る中、心の支えになったのが漫画や、絵を見たり描くことだった。
元々、体は弱く、人付き合いが得意ではなかったため、病気になる前から一人になれる世界を好み、絵を描いていた。
高校生の時、勉強は得意だったため「大学に行ってまで勉強をやる意味を持てない」と、進学に悩んでいた頃、絵を描くことに興味を持ち、画塾に通い始めていた。
デッサンや透明水彩、陶芸などを習うが、やればやるほど、自身の技術が足りていないことを痛感し、「下手なものを上手にするのが大学だ!」と思い立ち、美大にいくことを決意する。
そのことを両親に話すと大反対され、内緒で願書を出すが落ちてしまった。
母親に土下座し、浪人させて欲しいと懇願すると、母親から父親には内緒にする約束で、承諾を得た。
予備校に通うため上京した時も父親は知らなかったが、出来る限りのことは叶えてあげたいという母の想いを強く感じたという。
予備校に通い、そこで油絵に出会う。
毎日、夢中だったため、あっという間の一年だった。そして翌年、武蔵野美術大学に合格する。
立川市にある「まんまる助産院」との出会い
30歳のころに事故に遭う。
それまでは、新橋や京橋などで展示をしたり、公募や海外のレジデンスに出すなど、ひたすら絵と向き合う日々だったが、事故をきっかけに絵だけでは食べていけないと思い知らされる。
今まで味わったこともない挫折だった。
「ちゃんと生きていこう。働いてみよう」と思い、一旦は、絵画制作を辞めた。
ペインターの仕事もしていたため、その仕事に専念するようになる。
当時は、東京ディズニーシーやランドのペイント全般なども担当していた。
そんな時、自身の制作を辞めた後に、子供を授かることに。
幼少期の入院生活の経験から病院で産むイメージができなかったため、助産院を探し、見つけたのが立川にある「まんまる助産院」。
一番自由を感じたのが決め手だった。
上京して頼りになる家族も親戚もいない。夫も仕事で家を開けっ放し。
「どうしようと悩んでいる時に、いつでもおいでと門を開いてくれた。実家のような安心感に救われた」という。
出産してしばらく経った頃、院長先生に「真弓さん、絵が描けるよね?妊婦さんで絵を描きたいって人がいるから、家で描かせてあげてくれない」と、頼まれる。
今まで、絵を教えたことはなかったが、引き受けた。
上手に描くことよりも「妊婦さんが気持ちよくなる絵を描くことが重要だ」と考え、にじみ絵をやることにした。
一人だけのワークショップ。
何も考えず描くことがテーマだったが、出来上がった絵を見て、「ホームランポーズをとってるみたいな絵だね」と妊婦さんと話してる時に陣痛が始まり、翌朝に生まれた。
「描きたいものを描こうと思っていたけど、そうじゃない描き方でよかった」と出産後、嬉しそうに話す姿を見て、その後も助産院で毎月にじみ絵教室を開くことになった。
そんな最中、東日本大震災、福島原発事故が起きる。集まった妊婦さんの絵が、どれも“不安”でいっぱいの、にじみ絵になっていたそうだ。
まんまる助産院 保育室「八角堂」扉のステンドグラス
保育室内にあるステンドグラスも手がける
お産とにじみ絵
アートと出産には深い関わりがある。
アートに集中しているときの脳波と、出産しているときの脳波は同じだそうだ。
にじみ絵を通して、赤ちゃんに呼びかけ、自然分娩に導くことを目的としている。
にじみ絵をすることで、出産のイメージを持つことができるそうだ。
普段、大人はいろんな仮面をかぶっている。
どんどん厚くなっている仮面を少しずつ外すことで、本来の自分に気づき戻ることができる。
そうすることで、胎児のメッセージを聞き取りやすくなるそうだ。
朝、目覚めると人が最初にすることは、視覚を使うことだが、赤ちゃんはまだ視覚がしっかりしていない。
にじみ絵教室では、視覚を緩めて、自由に野生的な状態を取り戻し、産まれた時の身体の感覚に戻す。
1枚目、クセや習慣などが現れる。
この部分が仮面の部分だ。
そこと向き合うことで生まれる2枚目は、胎児から手が生えているイメージで、手先ではなく肩甲骨を動かし、描いていく。
3枚目からは、胎児の声を聞いて描いていった。
お母さんと赤ちゃんが心の中で、対話をしていくと作品に変化が現れてくる。
お母さんと二人で楽しそうに絵を描いているかのように、お腹の中で赤ちゃんが動き回っていた。
人の心の表れが色に現れる。
妊婦さんの色の交わり、心の問題が安産へと繋がっていく。
14年間で約1000人以上の妊婦さんと向き合ってきたにじみ絵教室だったが惜しくも6月19日が最後となった。
定期開催ではなくなったが、今後も形を変えてやっていくそうだ。
終わった後の熊田さんは、「やりきりました!」と、とてもスッキリした表情になっていた。
「わたしをたしかなものにする」がテーマ
東大和市にあるビーガンのお店の常連だという熊田さん。
オーナーからある時、「明日、私のもう一つの仕事、手伝わない?」と誘われる。
精神病院の絵画教室の仕事だった。
その手伝いをきっかけにその仕事を引き継ぐことになる。
別の人からは、国立市にある福祉サービス事業所「ふっくりー」の手伝いをして欲しいと声をかけられる。
当初、立ち上げでの空間や造作の手伝いだと思っていたが、自律訓練・就労継続支援B型のパステル画の講師の仕事だった。
自然色の練習をテーマに三原色(青•赤•黄色)を使い、パステル画の作品作りを教えている。
助産院や精神病院など、絵画教室を通し、様々な経験をしていく中で、「なぜ、色で心が現れるのか、色彩の傾向があるのか」を知りたくなり、シュタイナー のアントロポゾフィーの勉強会に参加している。
しかし、答えは出てこない。日本で活動している人が少ないからこそ、自分でその答えを探し出そうとしている。
自宅でも絵画教室を開いている。
最近では、埼玉や名古屋からも来るそうだ。
「子どもたちには、色の体験を重ねることによって、心(魂)が耕されるので、無理のない成長をして欲しい、大人たちには硬くなってしまった心をほぐしてもらい、逆にほぐれ過ぎてしまった人には、硬くなってもらいたい」という思い運営している。
芸術療法的な要素が強いため、作品が作れることが目的ではなく、自分を確かなものにしていくことを目標としている。
5月からは、今までの経験を伝えて欲しいと、芸術療法に興味がある人向けの勉強会に講師として呼ばれ、サークルという形で行っている。
福祉サービス事業所ふっくりー Hugge展(旧国立駅舎内)
作業所に通ってる方達の作品
パステル画の体験会
自由に参加でき、好きなところに好きなだけ色(三原色)を重ねていき、色の変化を体験する。
青い世界にいる鹿
出産前は、筆を折っている時期があっても平気だった。
出産してからは自分の五感が絶えてしまう気がして、描かないことがしんどかった。
「あの頃は軽い鬱病だったのかもしれない」と話す熊田さん。
ある時、授乳中にウトウトしていると、急に懐中電灯で照らされたみたいに、眩しい光に照らされ、パッと目を開けるが真っ暗だった。
何度も同じ経験をするため、何がそんなに眩しいのかと、気にするようになると、鹿がお水を飲んでるシーンがどうしても浮かんでくる。
しつこいくらいに青い世界の中で、月明かりが水溜りに落ち、その水を鹿が飲んでいる姿が見えてくるため、「描けばいいんでしょ!」と、子どもが寝ている時に筆を取って描いた。
今までは抽象画しか描いてこなかったが、初めて動物の絵を描くようになった。
その絵がきっかけで、次から次へと、鹿との関わりが増える。
ある時は、「鹿の角ってどんなだったかな、見てみたいな」と思うと、知人が「持ってるよ!」と持ってきてくれた。
「差し出された時は、花束のようにときめいちゃった」と、目を輝かせて話す熊田さん。
野生の鹿に出くわしたり、不思議と鹿にまつわることが熊田さんの周りに集まるようになった。
「なぜ、あのとき鹿が浮んだのかは、わからない」と当時を振り返る。
鹿が好きなわけでも動物が好きなわけでもなかった。
しかし鹿の絵は、自分の人生を戻す入口だったと話す。
事故に遭ってから、個展を開くこともやめていたが、再開するようになった。
自分は「作り手でありたい」と思い、立川市にある焼き菓子屋の「ひとひとて」で個展を開いた。
(※ひとひとて:立川市若葉町にあったが、現在は、岐阜県郡上市に引越しした。)
自身の制作が追いつくか不安だが、来年3月頃にもまた個展を開催する予定でいる。
「心の闇と光が、絵に反映するのをいろんな人に見せてもらい、心のあり様で絵もガラッと変わるのを見てきた。
心の持ち方などを伝えるお手伝いをしてきたが、これからは自分の絵で、どこか人の心に働きかけ救いになるような絵を、死ぬまでに描いてみたい」と、今後の自身の作品作りについての熱い思いを聞かせてくれた。
熊田さんの話から芸術・アートの世界の奥深さを感じる。
自分自身の心の声を聞き、アートを通して人に寄り添う熊田さんだからこそ、より一層深みが増すのだろう。
「芸術は人を変えることができる」。
特に色は直接、魂に手が触れることができるのだそうだ。
真っ白な紙から、まるでそこに初めから絵があったかのように、見つけ出すように描いていき、その人が見えているものを形にする。そのために、何を求めているのか、一緒に考え、導いていき、絵が収まっていく。
色が人の心を表し、色と向き合い、心の声に傾けていくことで、本来の自分に気づくことができる。
気づくことで、心が癒され、そして「わたしをたしかなもの」にしていくのだろう。
安産の猫 バステト神
木の板の上に描いている 鳩間島で出会ったウミガメ
ボランティア活動として、旗や寄付金箱を制作。どんぐりの会
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https://www.instagram.com/atelierterakoya?igsh=a2c0cWc4bGU2ZzFh&utm_source=qr
コネルテフェス
コート・ギャラリー国立にて
8月22日(木)〜27日(火)
絵画ワークショップ開催
25日(日)には、熊田さんのワークショップも開催予定
(取材ライター:藤川 桃子)