
TACHIKAWA
BILLBOAD
「僕はアーティストに憧れている側の人間」
「20代後半までは、自分はアーティストだと思い込んでいました。
音楽が大好きで、そういう場所に出かけて行くとファッショナブルな人たちが沢山いた。
それで、デザインや服飾に興味を持ち、文化服装学院に通っていたんです。
在学中、音楽にものめりこみ、ビクターからメジャーデビューもして。良い時代だったんですよね。
ずっと自分は生み出す側の人間だと思っていた。まさに勘違い」。
「元々、手作業も機械いじりも好きだったのですが、友人に『君は本当にネジ回すのが上手だよね』といわれた。
その言葉に、自分は何もないところから生み出すよりも、設計図のあるものから生み出す側じゃないかと思ったんです」。
友人の何気ない言葉で、考え方が180度変わったという。
生き方を変えた車
「修理技術者となる車との出会い」
「半年働いて半年休むという生活をしていた頃、友人の納屋にあった車を借りることになったんです。
その時点で車は20年落ち。
でも、すごくかっこよくて、自分で直し直し乗っていたのですが、自分で直せないところもあり、修理に出すようになった。
それが、先代がやっていた『ネオライフ』。
ある時、先代が僕に『ネオライフ』を一緒にやらないかとスカウトしてくれたんです。
面白そうだと思い、初めて定職に就きました。
そうしたら、3年くらいして先代が『田舎に帰るから』とすべてを置いて田舎に帰ってしまったんです。
自分で望んで始めたわけではないんですけれど、受け継ぎ今に至っています」と生き方を変えた友人の車と先代との出会いを話す。
「だましだまし乗れるすごさ」
「今の車は壊れてしまったら、もう修理工場行だし、直せない場合も多い。
昔の車はごまかしがきくんです。乗っている途中で調子が悪くなっても、壊れてしまっても何とか動かすことができ、工夫次第で修理もできる。
世の中には1/1000ミリ単位の精度で完璧な作業をするマイスターみたいな人がいるんですけど、僕は想像力を掻き立てるような修理に惹かれる」と中井さんが感じるアナログへの魅力を教えてくれた。
エンジンのパッキンは全て中井さんが切り出し作成している
「車屋さんと限定されると少し居心地が悪いんです」
「この仕事を続けるまで定職に就いたことがなくて、いろんなことをしてきました。
ログハウスをつくったり、建築家さんの模型作りを手伝ってみたり、架空の名刺を作ってギターの裏に張る保護シールを売り込んでみたり、楽しいこと優先で生きてきた。
なんでも屋さんと思っているんです」。
「人って欲張りだと思う」
「もし、あの時、違うことを選んでいたら違う道があったんじゃないかと、常に思うんです。
だから挑戦できることは全てやろうと、先程もお話したように『楽しいこと優先』で」。
「実は映画に出演したこともあるんです。全裸の役だったんです。
出演者みんな全裸っていうニッチな作品だったのですが3部作まであって。
普通に映画館で上映されたんですよ。
いい大人が全裸ではしゃいで走り回って作品を作り上げていく、そんな体験なかなかできないと思うんです。
家族には、出演はOKだけれど、観にはいきませんと言われました」とはにかむ。
「アート活動は中井家」
「ネオライフのステッカーや缶バッチなどのグッズは、猫屋万年堂という名前で作成しています。
中井家のキャラクター『あぷちん』は、うちのかみさんの『子供の頃、こんな人形で遊んだよね』と書いた落書きから始まりました」。
ネオライフのグッズ
中井家のキャラクター「あぷちん」
「家族会議は食卓」
「今度、10月に中野で開催される『おまめ映画菜 ラブアンドピーズ』に応募したアニメがノーミネート作品に選ばれて上映されるんです。
作品名は『だったネコ』。子供の口癖が『だった』で、いつの間にか家族の口癖になっていた。
そこから生まれた作品です。家族で音楽も声入れもして作っています」と家族で生み出すことの楽しさを語ってくれた。
おまめ映画菜 ラブアンドピーズノーミネート作品「だったネコ」
アーティストの語源は、古くはラテン語まで遡り、元々は広く学芸や技術に熟達した人を指すそうだ。
中井さんはその狭間に今を置いている。
■ネオライフ
HP : http://neolife360.com
YouTube : だったネコ by 猫屋万年堂 – YouTube
(取材ライター: 高橋真理)