まず初めに、川口さんが代表をなさっている「カワグチオートサービス」について教えていただけますか。
創業は1929(昭和4)年で、私の祖父が航空機や自動車部品を取り扱う個人商店「川口商店」を開業しました。その後、父の代になって整備工場ができ、新車や中古車の販売、保険の取扱なども始まり「株式会社川口商店」となりました。私が「川口商店」に入社したのはバブル崩壊と同じ頃、3代目として社長に就任したのは1995(平成7)年です。社名が現在の「カワグチオートサービス」となったのは、2019年の創業90周年の時です。
川口さんは「カワグチオートサービス」に入社する前、大手広告代理店で働いていらっしゃったそうですね。
はい。私は小学校1年生の頃から「車」よりも「ファッション」や「音楽」に興味があって、「おもちゃ」より「服」や「レコード」を欲しがるような子どもだったんです。大学は経済学部でしたが、まわりは「文化」や「音楽」に詳しい友人ばかりだったし、価値観の芯となるものが何で、それが其々の生活の中での好きなものと、どうつながるかを考える「ライフスタイル・マーケティング」の仕事に就きたいと思い、博報堂に入りました。
博報堂では資生堂の企画広告を担当をして、仕事には面白さとやりがいを感じていました。ところが、働き始めてから10年経ったちょうどバブル全盛期で広告業界も黄金時代、これからという時に父の体調が悪くなったんです。
父は「川口商店」の社長をしていましたから、当然、会社をこれからどうするかという話になります。できれば私は、家業を継がずに逃げ切りたかったんですが(笑)、祖父や父の働く姿を見てきたので会社を無くすことができず、あとを継ぐ覚悟を決めました。
とはいえ、広告の仕事が嫌になって家業を継ぐわけではなかったので、気持ちを切り替えるためにもせめて時間が欲しかったんです。それで会社を継ぐ前に1年だけ猶予をもらいました。「自分のことを誰も知らない場所」で過ごしてみたいと思ったのです。一人でパリに渡り、知り合いのつてでアパルトマンの屋根裏部屋を借りて、仕事はせず、街を眺めて歩いたり映画館や美術館で過ごしたりモラトリアムな時間を過ごしました(写真上/川口さん提供 )。ここを拠点にヨーロッパ各地や北アフリカにも旅行しました。趣味の「クスクス料理」に出会ったのもこの時です。
1年後、立川に戻って父の会社に入社したものの、これまで自分がいた広告業界とは異なる業界ですから、これまで築いてきた経験とかプライドは全く通用しなくて。また、中学以来立川とは縁遠かったので知り合いもいなかったし、家業とはいえ、初めは本当に大変でしたよね(笑)。
今は若者の車離れ、カーシェアによる保有台数減少、自動運転や電動化など、車を取り巻く環境は大きく変化しています。そして「車検」そのものも変わりつつあります。サービスを提供する側も常に時代の変化に合わせた対応と変革が求められています。ですが「マーケティング」の視点でいうと、この著しい変化の時代だからこそ、つかむことができるチャンスがあるはずなんですよね。お客様一人一人の顔が見える地域に密着した信頼関係のあるサービスは、どんなに時代が変わっても変わらない大切な部分です。そして、このようなことを私が言えるのは、祖父や父、そして社員が、地域に根ざしたサービスや地域貢献を積み重ねてきたからこそなのです。
川口さんは、立川商工会議所の会頭として、「立川観光コンベンション協会(写真/立川商工会議所提供)や「TACHIKAWA DICE」設立(写真右/月刊バスケットボール提供)にも携わっているそうですね。
はい。私は本当は「支えて応援する参謀タイプ」なのに、どういうわけか会頭をやっているのです(笑)。私が会社の代表や会頭の役職ができているのは、会社の従業員やお客様、応援してくれる地域の方々や仲間あってのことです。特に立川商工会議所の活動を通じて立川に知り合いもできましたし、皆さんに良くしてもらいました。
昨年、立川商工会議所では創立70周年に合わせ、今後10年を見据えた「Innovation Farm TACHIKAWA」というビジョンを策定しました。これは立川を中心とした広域都市圏においてイノベーションが次々と生まれる環境を整備しようという試みです。立川にかかわる全ての人の企業活動や創業が成功しやすい街づくりを目指しています。そのために立川商工会議所がハブとなって関係機関と連携、調整を行います。立川には昭和記念公園やファーレ立川、GREEN SPRINGSなど地域の皆さんが作ってきた豊かな土壌がありますから、私が会頭任期の間に、この土壌に未来の種まきをしたいと思っています。
(「Innovation Farm TACHIKAWA」の詳細はこちらから https://tachikawa.or.jp/about/70shuunenvision/)
そんな川口さんが人生で影響を受けた【私の三冊】を教えてください。
絵本を紹介するなんて笑われるかな?と思ったのですが、好きな本なのでご紹介しますね(笑)。この本は、子どもたちが小さかった時にもよく読み聞かせていた本ですが、ページをめくるごとに描かれている窓の外の夜空がゆっくりと移ろうんです。そのゆっくりした感じが、子どもの頃の時間の流れ方に似ているんですよね。大人になった今、私は毎日とても忙しくしていますが、実は、子どもの頃はとてもボーっとした感じの子でした。この本はそんな私の子ども時代の、からっぽで心配のないあたたかな時間の流れを感じることができる1冊なのです。
今日持ってきたこの本は、アニバーサリー版です。私は広告の仕事を辞めてパリから立川に戻ってきて、全く別の業界の家業を継ぐことになったわけですが、「広告代理店でなければ自分の価値は実現できないのか」「パリにいなければ自分ではないのか」というと、そうではなくて「人はどこにいてもそこで価値を発揮できるのではないか」というあたりまえのことは、この本を読んでいて改めて気がついたことなのです。祖父と父が積み重ねてきたことを受けて、今、自分が立川で生かされていること。自分の意図する環境でなくても、新しい自分の価値を見つけることもできること、そして、立川だからこそできることも必ずあること。この本は、そんな「自分の生きている意味」を気がつかせてくれた大切な本です。
この本は、私の姉が映画監督や俳優に会ってインタヴューして書いた映画論です。母方の叔父が映画のプロデューサーで、母が映画好きだったこともあり、私たちは映画を見て育ちました。子どもの頃、姉と二人で「立川セントラル劇場」で、間違えて文芸長編映画の「カラマーゾフの兄弟」に入ってしまい、出るに出れない体験をしたことは、今でもよい思い出です(笑)。そんな姉との思い出も含めてみなさんにご紹介したい本です。
最後に、川口さんのこれからの夢をお聞かせください。
そうですね、いくつかありますが、まず私は「立川」を若い人たちが次々出てくる、若い力が突き上げてくる新陳代謝のいいまちにしたいと思っているんですよ。そのために私は若い世代に様々なチャンスを創ることを自分の存在意義と思っています。
また、この「TACHIKAWA BILLBOARD」をご覧になっている皆様に関わるような夢としては、立川をデザインカで切れたまちにすべく、オープンイノベーション(※1)で様々な技術やアイデアの種にデザインの力を与えられるような「立川デザインカウンシル」的なものを立ち上げられたらと思っています。
まちづくりで言えば、駅前だけでない個性的なゾーンの開発とそれらを繋いで回遊性を生むことで、立川のまちの奥行をひろげ魅力を高める取り組みを実現したいと思っています。多摩川沿いが市民や観光客が水辺を楽しみながら過ごせる「憩いの場」となったらより南北の回遊性も生まれると思います。さらにすでにある文化的資源である「ファーレアート立川」もユニークベニュー(※2)とすべく、「赤い植木鉢(ジャン・ピエール・レイノー作)」のオープンテラスでシャンパーニュやワイン片手に楽しめるライトアップした「ナイトミュージアム」を開いたり、ミュージアムショップ併設のカフェもあったらいいですよね。場所がなければ、ファーレ内に毎週末アート系ベンダーやキッチンカー出してイベント継続させるなども考えたいです。
そして、点在するまちのスポットの点と点を結んで、まちの回遊性をよくすること。昭和記念公園にいらしたお客様にも、こうしたスポットを回遊して帰っていただきたい。そのために、新しい移動手段としての電動キックボードやシェアサイクルにも期待しています。
(※1)製品開発や技術改革、研究開発や組織改革などにおいて、自社以外の組織や機関などが持つ知識や技術を取り込んで自前主義からの脱却を図ること
(※2)歴史的建造物、文化施設や公的空間等で、会議・レセプションを開催することで特別感や地域特性を演出できる会場のこと
●カワグチオートサービス https://www.e-kawaguchi.com/
●立川市商工会議所 https://tachikawa.or.jp/
(取材ライター:小林未央)