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古き良き時代の立川 その軌跡を残し伝え続ける印刷所

立川印刷所

立川市の西側。線路と並走する街道沿いに、ひと際目を引く、昭和時代のレトロなビルが建つ。

1階の入口部分には、アンティークな洋風の扉があり、店先には「OPEN」の文字が。

一見、カフェか雑貨屋に見えるが、ここが90年余り続く、「立川印刷所」だ。

2018.10.04

立川きっての老舗印刷所の誕生

 

 

立川町長を務めていた中島舜司さんが、大正12年に創業した立川印刷所を、昭和5年に初代の鈴木貞治さんが受け継ぐことに。

70坪ほどの土地にあった平屋の工場、機械類などを譲り受け、鈴木さんは28才の年、役員含め7人の従業員と共に、立川印刷の第二の歩みを始めた。

活版・石版印刷を行い、戦中、戦後と立川の歩みと共に、企業は成長を続けた。

 

 

 

 

3代目が始めた、変化する街の風景の収集

現在、同社を経営するのは3代目の鈴木武さん。

産まれも育ちも立川の武さんは幼少期から、まだ立川に米軍基地が残る時代、映画隆盛期などの空気をあたりまえに感じて育ってきた。

成人となってからは3年ほど他の企業で働いた後、同社へ勤務。日々、慣れない印刷の仕事と葛藤する日々が続いた。

 

そんなある時。街が急激なスピードで変化していく様を見た。

昭和から平成になる前後から始まった、立川駅南口エリアの大規模な区画整理だ。

「アナログなものはいずれ駄目になってしまう。今集めてデジタル化しなければ」。

 

基地の街だった頃の空気を残すディープな喫茶店、アールデコ様式の映画館、グランドキャバレーなど武さんは、昔の立川の街頭風景を収めた写真を収集し、デジタル化することを始めた。

「子供の頃、ボーイスカウトの活動で基地の中にも入っていた。その時見たアメリカのものたち、基地のある町としての立川の風景が、とっても好きだったった」と話す。

企業、個人かまわず収集していく中、「他にも見たい人がいるんじゃないかな」と武さんは、思い始めた。

 

多くの人へ、自身の立川の原風景伝え続ける

 

2007年、昭和時代の立川にあった映画館の風景を収めたカレンダーを制作。

当初、それほど売れるとは誰も思っていなかったが、新聞などのメディアから注目され、瞬く間に完売。

以来、毎年、テーマを変えてカレンダーを制作し続けている。

 

次に手掛けたのは写真集「立川の風景 昭和のアルバム」シリーズ。

 

映画館「シネマシティ」の古い風景、基地跡地の廃墟、区画整理地区、カレンダーの集大成と、こちらも毎回テーマを変え出版。
写真1枚1枚には、武さんの想いがこもったコメントも添えられる。

「全然、儲かるものじゃない。でも買って、見てくれた人から喜びの声が寄せられるのが、とても嬉しい。赤字にならない程度に続けていきたいね」と笑顔で話す。

現在では、テレビの特集などで、昔の写真を貸してほしいという依頼も多いという。

写真の他にも、今はなくなってしまった第一デパートの階段にあった店舗案内のパネルや、基地返還式に掲げられた星条旗なども預かる。

「いつか、ちょっとした立川のサブカル博物館なんてできたら面白いね。でも立川の博物館って誰も来ないかもね」と、武さんは目を細め話していた。

今、同社のこうした取り組みに、様々なメディアが注目している。

◆株式会社 立川印刷所
立川市富士見町5-6-15
TEL042-524-3268
FAX042-524-3270
http://www.yamas.co.jp/index.html