全国へ、世界へ3万人を超す音楽家・教育家を輩出 私立音楽大学の草分け
国立音楽大学
日本に多様な西洋文化が流れ込んできた大正15年。初代学院長の渡邊敢氏ほか若手音楽家・教育家の有志が開校した「東京高等音楽学院」こそ、私立では日本初となった音楽の高等教育機関「国立音楽大学」の出発点だった。それから90年、目まぐるしく移り変わる日本の音楽シーンと共に歩み、全国へ、そして世界へ、「国立音楽大学」は多数の音楽家を輩出し続けている。
国立に「音楽村を」 地元の熱意により誕生した「国立音楽大学」
当時の東京市四谷区に「東京高等音楽学院」が開校した同じ年、国立で地元の人々による「音楽村」構想が持ち上がった。
未開拓であったその土地に、「東京高等音楽学院」は移転を決め、戦後の昭和25年、「国立音楽大学」は誕生した。初代学長には、新交響楽団(現・NHK交響楽団)の運営に携わり、昭和23年から理事長だった有馬大五郎氏が就任。他の音楽大学にはない同大学の新しい歩みが始まった。
国内外から評される「アンサンブルのくにたち」
音楽大学を卒業する者の中から、脚光を浴びる「ソリスト」になれるのは、数千人に1人という狭き門。全国の音楽大学では日々、ライバルたちとしのぎを削り、練習に明け暮れる学生たちの姿がある。
そんな個々の実力を追い求めるイメージが強い音楽界において、国立音楽大学には90年以上にわたって脈々と受け継がれてきた別の伝統がある。
「学生と教職員が一体となって音楽を創る大学」「演奏で素晴らしいハーモニーを生み出す音楽大学」として、国内外から「アンサンブルのくにたち」として評され続けているのだ。
大学の基本理念である「自由・自主・自律」の精神を以って、時代の求める音楽家・教育家を育ててきた。
その数は国内外に約3万人。そうした「アンサンブルのくにたち」の精神が、日本の音楽文化を支え続けている。
新天地「立川」へ 「音楽の魅力を地域に」
国立音楽大学は昭和53年、新たな教育環境を求め立川市に移転した。以来、「音楽で恩返しを」と地域との関係も深めていく。
敷地内にある講堂のホールでは、クラシックコンサートや、子どもたちが音楽を体験できるファミリーコンサートなどを定期的に開催。また学外でも立川市との提携コンサートの開催や、市内小学校へ学生が音楽指導へ赴くなど、積極的に地域へ出て、音楽の魅力を伝え続けている。
現在、こうしたコンサートなどを企画する同大学の永峰高志教授は話す。
「音楽だけでなく、演劇、文学、絵画、スポーツなど、人生を豊かなものにするために、感動体験は欠かせない。我々のできる音楽で、地域の方に少しでもそういった場を作り続けていきたい」。
同大学のコンサートで涙する人、生きる気力を得た人なども多いという。
100周年へ向けての国立音楽大学の新しい挑戦は、すでに始まっている。
国立音楽大学
立川市柏町5-5-1
TEL042-535-9500(広報センター)